先っちょマンブログ

2020年03月

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生きている中でいろいろこじらせると、仏教にかぶれてしまうことがある。かくいう私もそのひとりで、一時期仏教、とりわけ原始仏教の勉強をしていた。いわゆる「にわか」である。

仏教にかぶれたきっかけは手塚治虫の漫画「ブッダ」だった。コンビニで売られている分厚くてお手頃価格の「ブッダ」を毎月買って読んでいるうちに、ブッダの生涯を描いた漫画でどこが手塚治虫の創作なのか、実際の仏典ではどうなっているのかを知りたくなった。

ブッダの生涯を分かりやすく解説した本が意外と少なかったため、いろいろ読むハメになったおかげでブッダが始めた頃の原始仏教だけはそこそこ詳しくなった。
また、仏教の本によって同じ登場人物でもパーリ語の発音とサンスクリット語の発音、中国に伝わった際の漢字表記がいろいろあってこんがらがってしまうこともよくあった。十大弟子の筆頭は「ブッダ」ではサーリプッタだったが、これはパーリ語の発音だ。サンスクリット語ではシャーリプトラ、中国語で舎利弗(しゃりほつ)。3種類の名前を覚えなければならない。

こうやって原始仏教を知ってしまうと、東南アジアに残る上座部仏教こそが仏教で、チベットから中国を経て日本に伝わった大乗仏教は念仏やらお題目を唱えることで救われるとか、ずいぶんふざけた仏教だと思えてしまう。
原始仏教や上座部仏教は出家して修行に励む人だけが悟りを開いたり救われたりする可能性があり、在家信者はそのお手伝いをするだけで、現世では救われないというドライなところがいい。念仏を唱え、お布施を渡して楽に救われようなんて都合がよすぎる。

手塚治虫の「ブッダ」を読めば分かるが、ブッダは生きるか死ぬかの厳しい修行を否定していた。当時のインドで栄えていた古代ヒンドゥー教であるバラモン教では、厳しい修行を経てこそ解脱への道に繋がるとされていた。
ブッダも一時期厳しい修行を行っていたが、それで死にかけ、スジャータという娘に乳粥をもらって生きながらえ、大きな木の下で瞑想に入って悟りを開いた。悟りを開いてブッダになったわけだが、ここではそういう細かいことはどうでもいい。
ブッダは修行に関し、厳しすぎてもだらけすぎてもいけないと説いた。弦楽器の弦を張りすぎても緩めすぎてもいい音は出ない。この考えを中道という。

仏教では生きること自体が苦であるとされている。人間が抱える根本的な4つの苦しみが生、老、病、死で、さらに愛するものとの分かれ、嫌いな人との出会い、思い通りにならないこと、ものや考え方に執着することを加えて四苦八苦という。
悟りを開くというのは、それらの苦しみから解放されることである。

「ブッダ」を読んだ私なりの解釈で簡単にいうと、悟りを開くことは絶対的な価値観を持つということだと思う。人生が苦しみに満ちているという考えは自分が不幸だからと思うせいであって、自分が不幸と思うのは相対的な比較でしかない。例えば、自分が貧しい、だから不幸だと考えるのは、自分が他の人と比べて収入が少なく、人と比べて自分の欲求を満たせないからだろう。世の中の全員が自分と同じだったら、貧しいとか不幸だとは思わないのではないか。

幸せとか不幸せという一定の状態はこの世の中に存在しない。あるのは、何らかの状態とその状態の比較に過ぎない。
他人と比較せず、絶対的な価値観でものごとを捉えることができれば、悟りを開く道が開けるというものだが、なかなかどうしてそれは難しい。人間はどうしても他と比較せずにはいられない。

私が常々アジアのよその国に行くことを勧めるのは、それらの国と比較することで日本のよさを認知できるようになるからだ。欧米はよく知らないが、アジアのほかの国では悪い面や不便な面が目につくことが多く、それを経験すると「日本はいい国だ」と思えるようになる。下を見て生きていくことはよくないことかも知れないが、人間は他人と比較し、自分が相対的に上にいることを確認することで幸せに思えるものだ。
私を含め、この世の大多数を占める人がそうなっているのだから仕方がない。普通の人は仏教の優れた僧侶のような考え方はできない。

だから、よその国の人間も同じであることは仕方がないと思う。例えば韓国はしきり日本と比較して、OECDで自国は何位で、日本は何位だと報道し、順位で勝てば自国が偉大だと喜び、負ければ「日本に負けるな」と叱咤激励する。
今度の新型コロナウイルス騒動でも、韓国のニュースメディアのNEWS1が「検査の日韓戦で韓国が勝ったとアメリカが報じた」と報道していた。

【Wow! Korea】大量検査VSターゲットを絞った検査、新型肺炎の日韓戦は韓国が勝利=ワシントン・ポスト紙 (2020/03/31)

PCR検査のやり方に勝ち負けがあったとは知らなかったが、韓国の検査手法が日本よりも優れているとアメリカから評価されて嬉しいのだろう。相対評価で日本に勝った。だから韓国は優れていると認識することができる。

比較のために評価するのであれば、何件検査したか、何人の陽性患者をあぶり出せたかといった検査体制よりも、死亡者数で比較するべきだろう。韓国158に対し、日本は56。人口比からすると韓国よりかなり少ないが、韓国では「日本が死者の数をごまかしている」という理由で比較されない。「日本では死んだら24時間で強制的に火葬されられ、正確な死者数が出せない」などと韓国で言われている。
日本では肺炎患者は必ずPCR検査が実施され、肺炎が原因で死んでも必ずPCR検査される。葬儀の場で感染者を出さないためで、死者数はごまかしようがない。まあそれでも、日本が死者数をごまかしているせいで比較に意味がないと思うのであれば、そう思っておけばいい。
代替製品が存在しないという理由で日本のゲーム機やゲームソフトが不買運動の対象とならないように、都合のいいものだけで比較して勝ったと思っておけばいい。
それで韓国が幸せになれるのであれば、邪魔をする必要はない。「PCR検査の数が国の誇り」と思っているのだから、それを裏付ける相対比較を好きにやって幸せになってもよかろう。似たようなことは日本もやっている。

ただし、韓国のタチが悪いのは、自分の中だけで気持ちよくなっておけばいいのに、負かしたと思う相手を腐し、こき下ろさないと気が済まないという性根の悪さだ。
放射能五輪のポスターを作って世界中にばらまいた韓国の市民団体があったが、今度はそれに新型コロナウイルスも付け加えるかも知れない。日本人を嫌な気分にさせてこそ、韓国の喜びが増すのだろう。
世界広しといえども、こんな国は韓国だけではないか。他人と比較するのにとどまらず、相手の地位を下げることに余念がない。
相対評価と勝ち負けに執着している結果であるが、こんな韓国でも仏教は救えるのだろうか。

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今朝10時頃、会社でコーヒーを飲みながらネットニュースを見ていて志村けんが死んだことを知った。彼は23日に新型コロナウイルスの検査で陽性であることが判明したわけだが、20日に重度の肺炎で東京都内の病院に入院して治療を受けていた。一時は重篤な状態だったというが、意識混濁ながら山は脱したと報じられた翌日に帰らぬ人となってしまった。

私はこのニュースを台湾版Yahoo!ニュースを見て知ってしまった。「志村健過世 享壽70歲」というタイトルでトップ記事で表示されていたので、「マジか」と思いながらクリックしたらマジだった。
記事は9時52分に配信されており、日本のYahoo!ニュースで最初に掲載されたスポニチの記事と同時刻だ。日本の芸能ニュースは半日ほど遅れて台湾で報じられることが多いが、志村けんの訃報は日本と同時だった。

台湾では80年代90年代に日本の志村けんのテレビ番組が放映されていて、今の30代40代台湾人には馴染みが深い。特に変なおじさんが「怪叔叔」、バカ殿が「笨蛋殿下」としてよく知られている。
台湾の男性アイドルタレントに羅志祥(ショウ・ルオ)というのがいる。彼はかなり日本語が話せるのだが、日本のテレビ番組のインタビューで「日本語学校に通ったわけではなく、志村けんの番組を見て日本語を覚えた」と語っていた。そのせいか、日本でよく「アイーン」とか「だっふんだ」と志村のモノマネをしていた。

かくいう私も志村けんを見て育ったクチだ。小学生の頃に「8時だョ!全員集合」を見ていたし、その後の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」も見て、PCエンジンのゲームソフトを友人の家で遊んでいた記憶が蘇った。
にわかに信じがたい思いがある。

私が台湾のニュースサイトをよく確認しているのは、新型コロナウイルス感染症で台湾の防疫が機能しているからだ。現時点で確定診断が298名で、感染経路が不明な市中感染がチラホラ見られるが、死亡は3名で、感染者も死亡者もアジア諸国の中で桁違いに少ないことは間違いない。
台湾とアメリカは2月初旬に中国からの中国人の入国を禁止したが、結果は大きく分かれた。疫学的には入国制限をかけても完全に感染経路をシャットアウトすることはできないとされる。事実、台湾では海外に滞在していた台湾人が台湾に帰って感染を広めているということがある。とはいえ、感染速度を緩めることは可能だ。台湾はアメリカと違って国を挙げて防疫に臨んだため、感染拡大を食い止められている形だ。
だから、台湾の新型コロナウイルス関連のニュースを見るといろいろ参考になる。中国の嫌がらせでWHOに加盟できていない台湾がこうなのだから、WHOという組織が何のために存在するのかますます疑問に思える。

それはさておき、志村けんの訃報を伝える台湾の記事についた台湾人のコメントを見ると、「一路好走」や「RIP」などと彼を悼む多くのコメントや「台湾のバラエティ番組は彼の番組を手本にした」、「長い間私たちに楽しみを与えてくれてありがとう」というコメントに混ざって、「中国人に殺された」とか「防疫より経済を優先した日本政府が殺した」という書き込みがチラホラ見られる。
台湾版Yahoo!ニュースのコメント欄はかなり荒れていて、五毛と呼ばれる中国政府のコメント部隊、もしくは中国政府のシンパが蔡英文政権や日本政府叩きをしていることが多いのだが、志村けんの訃報はコメントの数や内容を見る限り、台湾人の素直な感想というところだろう。
中国のせいでこうなったとか、日本の緩すぎる防疫のせいでこうなったとか今さら言っても仕方がないし、対応が違っていれば志村けんが死なずに済んだかどうかは分からない。事後で誰かを責めてもしょうがないが、対応が違っていれば状況が異なっていたかも知れないのは確かで、志村けんに思い入れのある人が文句を言うのも仕方がない。

WHOが「季節性インフルエンザの致死率の10倍」とする新型コロナウイルス感染症は、WHOはインフルエンザの致死率を0.1%、新型コロナウイルス感染症を1%としている。1%なんぞゼロみたいなもんだし、ドイツが感染6万2095名、死亡541名、死亡率が1%に満たないことを思えば、医療崩壊さえ起こさなければインフルエンザと危険性としては同程度であろう。
ただ、ワクチンや治療薬が存在せず、重症化して肺炎を患うと致死率が50%近くまで跳ね上がり、高齢者が重症化して肺炎を併発しやすいことを考えると、やはり警戒を怠ることは間違いだ。
しかしながら、身の回りに感染者や感染して死んだ人がいない人が大多数のため、あまり現実感がないのが現実だった。先の3連休の外出自粛要請にも関わらず浮かれていた人が大勢いたのは想像力の欠如によるものだろう。自分が肺炎で死ぬことが予想できない老人がいて、感染しながら無症状で歩き回って老人にうつしてしまう可能性を考えられない若者がいる。

そのような人たちは、志村けんの死を目の当たりにして、急に現実感が増したのではないか。70歳の志村が死ぬのだから、同年代の高齢者が感染して肺炎をこじらせて死ぬ可能性は十分に高い。志村の感染経路は定かでないが、もしかすると若い人がうつしたのかも知れない。そのように考えを変えるのに十分過ぎるインパクトがある。

志村はコロナ禍で客が減って経営が苦しくなった飲食店のために飲み歩いていたという。夜も開いている水商売の店も多いようだが、そういう店の危険性も認識すべきかも知れない。私はまったくの無縁だが、出入りしている人で感染すると、家族に知られたくないという考えから水商売の店に行ったことを隠すことが多いという。そうなった場合、店員が感染させた可能性、店員から感染させられた可能性がまったく分からず、そこから市中感染という形で広まっていくことが容易に想像できる。
水商売の店もずいぶん客が減っていて苦しいらしいが、志村の死によって認識を改めた客が遠のき、余計に苦境に立たされるに違いない。それでも、最近よく懸念される不明になりやすい感染経路が減ることはいいことであろう。

幼い頃からテレビで見ていた志村けんが亡くなったことは残念で仕方がないが、彼の死によって、政治家がいくら呼びかけても危機感が湧かなかった人たちの考え方を変えさせる役に立つのは間違いない。彼はただ死んだわけではなく、危機感が足りなかった日本の社会に警鐘を鳴らした。そういう意味では、志村けんの死は無駄ではなかったと思う。

20200329-1

今年の年越しで嫁さんと大喧嘩をした。喧嘩というか、嫁さんが私にキレてしまった。

年末年始は仕事で台湾にいて、12月31日の夜遅くにホテルで台湾のテレビ局が中継している年越し番組を見ていた。台湾では台北や台中、高雄といった都市で多くの歌手が出演する年越しライブが開催され、それがテレビ中継される。
私がもっとも好きな台湾人歌手で、1年前の新譜発売のサイン会にも行った王心凌(シンディ・ワン、37歳)という歌手が台中のイベントに出演するので台中の中継を見ていた。
台湾時間の午後10時45分頃にようやく登場したので見ていたら、10時50分くらいになって嫁さんからLINE通話が入った。日本時間では午前0時前で、年越しの話をしようと事前に決めていたからだ。
だが、私は王心凌がテレビに出ているのをスマホで撮っていて、「今シンディがテレビに出てるから、あとでかけ直す」と言って切った。10分くらいの出番だと思っていたが、終わりそうになかったので日本が年越しを迎える3分くらい前にかけ直したら、嫁との会話よりテレビに出てる王心凌の方が大事なのかと嫁さんがキレてしまった。正月早々不機嫌にさせてしまい、数日間は険悪な雰囲気になってしまった。

台湾では年末年始の気分が一切味わえてなかったので、年越しの意識がまったくなかった。普段のLINE通話くらいにしか考えてなかったから悪いのだが、もっと悪いことに、せっかく台湾で中継が見られるのだからと思って見ていたが、後日テレビ局が各歌手ごとの中継をYouTubeにアップしていた。いつでも見られるようになるのだから、必死になって見る必要はなかったのだ。

それはともかくとして、私がそこまで好きな王心凌がInstagramに「十二街洗手挑戰」という手洗いの動画をアップしていた。


台湾の黃瑽寧という医師が考案した手洗いの手順で、内(手のひら)、外(手の甲)、夾(指の間)、弓(指の腹)、大(親指)、立(指先)、腕の部位に分けて手を洗うようにしている。
ハッシュタグには「石鹸での手洗いはアルコールでの手洗いに勝る」、「ハッピーバースデーの歌2回分が手洗いの時間」とあるように、本来なら石鹸で30秒以上かけてやる手洗いだ。

台湾では先週あたりからこの「手洗いチャレンジ」をSNSでやる人が増えてきており、著名人にも広がってきている。
日本ではYouTuberのヒカキンが「#うちで過ごそう」というハッシュタグで不要不急の外出を訴え、トレンドワード1位になったそうだが、有名人のこういう呼びかけは効果がある。できれば家にいろと言うだけじゃなく、手洗いの方法など具体的に役に立つような情報発信の方がいいと思うが、なにもないよりは断然いいだろう。

SARSなどの感染症を経験した台湾は防疫がもっとも成功している国といっても過言ではない。韓国が「他国から防疫モデルを指導して欲しいという依頼が殺到している」と自画自賛しているが、死亡者144名の韓国と、韓国の半分の人口ながら死亡者2名の台湾ではどちらが防疫に成功しているかハッキリしている。にも関わらず、台湾は自画自賛したりせず、防疫体制を緩めることもない。

先週も紹介したYouTubeの番組「木曜4超玩」で、今週は出演者がめちゃくちゃ変な座り方をしていた。手を広げて当たらないくらいの距離を取っているらしい。この後、全員で前のテーブルでインスタント麺の試食をしたりしていたので、あまり意味がないのだが、心意気だけは伝わってくる。

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日本の芸能人は「さっさと国民に現金給付しろ」などと政治に不平不満を漏らしているヤツが多いが、影響力があるつもりなら文句を垂れる前に手洗い動画などもっとマシなことを世間に広めたらどうかと思う。

台湾では防疫が成功しているためか有名人の政権批判はほとんどなく、一般人も防疫に非常に協力的だ。
私が出張で行った台湾の半導体工場では、新型コロナウイルス騒動以降に社員も工場の工員もマスクの常時着用が義務付けられていて、そこに出入りする会社の事務所もマスクの常時着用が必要だ。仕事の間、ずっとマスクを着けていないといけないので不快このうえないが、職場での感染拡大予防には間違いなく効果がある。

台湾がここまで防疫に成功しているのは、ひとえに民進党政権のおかげだろう。蔡英文総統には決断力や指導力があった。もしこれが中国寄りの国民党政権だったなら、今頃ズタボロになっていたかも知れない。
また、政府機関の衛生福利部で部長(日本でいう厚生労働大臣)を務める陳時中という人物の安定感がすごい。1月下旬から毎日1時間から2時間の定例会見を行うタフさから「鉄人部長」と呼ばれており、さらに安心できる人の意で「定心丸」とも呼ばれているという。

台湾の中時電子報が彼の何がすごく、何が「定心丸」と呼ばれる所以なのかネットで分析されていたことを記事にしていた。

【中時電子報】陳時中厲害在哪?網推5「定心丸」特質

5つ挙げられていたのだが、真っ先に挙がり、もっとも重要視されているのが「くどくなく、簡単明瞭、専門用語を使わず、聞く人に疑問を与えない」というものだった。
かつて歯科医師で、今は政治家として防疫の陣頭指揮を取り、異常なほどタフでありながら、人々に分かりやすい説明ができる陳時中部長は台湾人の9割以上に支持されているという。

多くの民衆に理解させるには回りくどくなく、シンプルに話をする方がいい。「詳細はほかを見ろ」で構わない。日本の政治家や官僚は言質を取られないようにした含みのある言い方や、逃げを用意した言い回しが好きで、さらに御託を並べて聞く方をウンザリさせる話を好む。

安倍首相が滑舌が悪いのは仕方がないとして、記者会見でイマイチ煮え切らず、どっちとも取れたり、憶測を呼ぶような言い回しをするのはよくない。
28日(土)の記者会見で「事業を継続していただくために、あるいは生活をしっかりと維持をしていただくために、現金給付を行いたいと考えています」と言いつつ、「国民全員ではなくターゲットを絞ったうえで思い切った額」と言っていた。これでは自分が受け取れるか受け取れないか不安になるだけなので、最初から言わない方がいい。もしくは「現金給付する」と言っておき、あとで「ただし金持ちを除く」と言っていいのではないか。
あとから責められることを考慮しての発言だが、こんな言い回しは平時にやっておけばいい。

もっと最悪なのが小池都知事で、東京都民に危機感を与えるためにいろいろ呼びかけているのはいいのだが、B級映画の邦題みたいな「ロックダウン」とか、サッカー用語みたいな「オーバーシュート」とか耳慣れない言葉ばかり用いているのは最悪ではないのか。「都市封鎖」とか「感染爆発」といった刺激的な用語を避けるためと見られているが、会社のアホな経営幹部がビジネス誌を見て覚えたカタカナ用語を使うようなもんで、逆にアホみたいに見えてしまう。

かつて小泉純一郎が総理大臣として国民にウケていたのは、「ワンフレーズ政治」が受け入れられたからだった。国民はダラダラとした話に耳を傾けるほど堪え性がないのだから、短い言葉で語った方が伝わりやすい。ワンフレーズという短さでは問題だろうが、簡潔な方がいいに決まっている。
今こそ政治家が、短く、簡潔に、分かりやすく国民に話すことが重要ではなかろうか。

2200327-1

数日前に「日本でも食料の買い占めが行われるだろうから保存が効く食料の買い増しをやった」と書いたらほんの数日で実際に起こってしまった。外出自粛要請がされた東京都心の話であるが、私が住む滋賀などほかの地域でも同じようなことが起きるのは明白だ。トイレットペーパー不足のように、テレビや新聞で見て不安になった人が急いで食料を買いに走るに決まっているからだ。

買い占めの予言が当たったのではなく、単に海外で起きたことは日本でも起きると考えただけで予想ですらない。デマが拡散することによって日本では絶対に起きないと思っていたトイレットペーパー不足が起こったのだから、食料の買い占めだけ起きない理由はない。
よその国のニュースで、新型コロナウイルス感染症で死んだ人の話はあっても、外出禁止や都市封鎖で食べものがなくて餓死した人のニュースなんぞ一切ないのに、都市封鎖の可能性のニュースが流れてから慌てて買いに走る人たちは何なのだろうか。スーパーは閉まらず、物流が途絶えるわけでもない。食品物流の関係者が「食糧不足になることは絶対にない」と言っているのに聞く耳持たれないのは、トイレットペーパーのときと同じだ。どうせ何を言っても通用しない。
我が家の買い増しは数日前に終了しており、今後は平常通り行くつもりだ。食えなくなって死ぬことなんて100%ないし、仮にひもじい思いをするのであれば、ダイエットになってちょうどいい。

準備をしていない人やパニックになる人を見るとアホなのかと思ってしまう。でも、いろいろ忙しい人もいるから、しょうがない面はあるかも知れない。
それより信じられないのが、先の3連休など、この期に及んでも花見で宴会なんぞをやっている連中だ。公園を散歩して桜を愛でるのはいいだろうが、感染を広げる可能性があるから宴会は自粛しろと言われているのに、自分たちが特別と思っているのか、それとも自粛要請が耳に届いていないのか、やりたいことを死んでも曲げないヤツがいる。

花見の席での宴会なんぞやる必要がなく、大人しく家にいればいいのに、どうしてほんの数週間の間だけでも我慢ができないのか。桜は今のシーズンだけだが、花見なんぞ来年思う存分やりゃいい。
吉本新喜劇で間寛平が「わしゃ止まると死ぬんじゃ」というのを思い起こさせる。宴会をしないと死んでしまうのだろうか。

安倍昭恵夫人が私的な「桜を見る会」を開いていたと週刊誌に暴露されていた。安倍首相が「レストランで会食し、レストランの敷地内にある桜の下で写真を撮った」と釈明させられていたが、首相夫人がこのノーテンキでは国民に切迫感が伝わらないのは仕方がないのかも知れない。
日本経済を回す意味ではレストランで一切食事をするなとは言わないし、記念写真くらい本当はいいのだが、この時期に知り合いと食事会をして花見をしているような写真を撮ったら叩かれるに決まっている。
それを意に介さない昭恵夫人の鈍感力には末恐ろしいものがある。あんなのを嫁にもらった安倍首相の苦労がしのばれる。

総理大臣の妻が規範を示せないのであれば、東京都やその周辺県で外出自粛要請を出しても必要もないのに外出して、飲み食いをして楽しく過ごしてしまう人が多いのも仕方がない。
日本人はそこらへんがもうちょっとしっかりとしているものかと思っていたが、欧米人と同様に個人主義が過ぎるようになり、お構いなしになってしまった。日本人の劣化と言ってもいいのかも知れない。

日本人は人の迷惑や国のことを考えない国民だと分かったわけだが、日本人の劣化はそれにとどまらない。「とりあえず大人しくして」という自粛要請に人々が耳を貸さないことについて、「"不要不急の外出"を具体的に説明しないからだ」という意見が多い。そんなもん政府が説明しなくても、子供じゃあるまいし大体分かるだろう。政府がいちいち言ってしまうと、「ならコレはどうなのか」とか「なぜ○○がダメなのか」、「商売を潰すつもりか」などと言うに決まっている。だから「常識で考えてね」と言って当然に思えるが、いちいち分からないとか言っているヤツは真性のアホではないか。
生きるために必要な食料の買い出しや通院、仕事なら出かけろ。遊びならやめとけ。ただそれだけの話だ。程度の問題は各々で判断すりゃいい。

こと細かな説明が足りないとか不平不満を言うヤツが多い以上、外出自粛要請なんぞ聞き入れられるわけがない。
ならば日本以上にアホが集まった欧米に倣って外出禁止令を出し、罰則を設けてもいいように思える。分からないアホにはお仕置きしかない。畜生でも罰を与えたら学習するのだから、アホでもやめるようになるだろう。

しかし、日本では法制上、外出禁止令を出したり都市封鎖をして私権制限をすることが難しいのだという。本来あるべき日本人ならばコロナ禍を国難と捉えて一丸となれそうだから、ややもすれば間違った方向に行きかねない外出禁止や都市封鎖という私権制限なんぞなくてもどうにかなりそうだったが、今やそうではない。
感染が一気に広がって東京周辺で医療崩壊が起きそうだから不要不急の外出を控えてと言われても我慢できない手合いが多いのだから、急いで法整備する必要があるのかも知れない。

私は今、自分勝手過ぎる国民が多すぎるこの日本に大きく失望している。買い占めもそうだが、政府や行政からの要請に耳を傾けない国民が多すぎる。「政治家が信用ならないからだ」と主張する人がいるが、信用できないから好き勝手やるというのでは「北斗の拳」の世紀末のような社会になってしまうではないか。
国民にアホだと思われている政治家も、国民をアホだと思っているに違いない。お互い「アホを相手にするのは疲れるぜ」とか思っているのだろう。
だったら、国民はアホになったふりをするのではなく、少しでも賢そうなところを見せるべきだ。政治家に言われたことをちゃんとやって、今度は政治家にやるべきことをやらせればいい。「どうせ政治家はちゃんとしないから」という理由で自分もちゃんとしなかったら、この国は本当にメチャクチャになってしまうのではないか。

20200326-1

台湾にNETというファストファッションブランドの店がたくさんある。ユニクロみたいな感じの店で、ホームページもなんとなくユニクロっぽい。

NET

台湾にもユニクロの店舗がかなりあるのだが、NETはそれ以上にある。台湾人はユニクロを好む人が多いが、日本人からするとわざわざユニクロを選ばなくてもNETでいいような気がする。
年末年始に台南にいたとき、急に2週間長く滞在しないといけなくなったため、ホテルで過ごすために着る長袖のTシャツを買った。
そのついでに、台湾に行ってNETを覗くたびに買っているベルトも買った。中年御用達のベルトで、穴がなくて止める位置を自由に調整できるやつだ。ユニクロにはそのタイプのベルトがなく、アマゾンなどで買える中国の同じタイプのベルトは締めたり緩めたりするのがやりにくいのが多いのだが、NETのベルトはよくできていて作りが非常にいい。

2012年に初めてNETに行ったとき、ベルトが2本で500元だった。当時、両替手数料を含めて1元が3円弱だったので、2本で1500円である。めちゃくちゃ安かった。
その後、2014年に買ったときは少し値上がりして2本で550元になっていた。2017年には2本で650元だ。
2019年の末には、2本セット販売がなくなっていて、1本359元だった。2本買うと718元である。今の為替レートだと1元4円弱で、1本が1400円くらいだ。7年で2倍くらいになってしまった。

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1本1400円くらいでも十分安いのだが、円安になったことを抜きにしてもベルト1本の価格が100元くらい上がっており、ベルトの物価でいうと4割も上がっている。
台湾の消費者物価指数を見ると、緩やかにずっと上昇を続けている。ベルトが7年で4割も値上がったのはたまたまだろうが、台湾に度々行っているために徐々に物価が上がっているのは肌で感じることができる。

それに対して日本は1999年頃から消費者物価指数が上がらなくなり、2013年に安倍政権が誕生するまでずっと低迷していた。いわゆるデフレ時代だ。物価が上がらなくなり、企業の売上も落ちた。2010年の世帯所得は1987年と同じくらいにまで下がってしまった。
アベノミクスで多少経済は建て直されたかのようになっているが、デフレから脱却したかどうかは疑問だ。ものの価格があまり変わっていないように感じる。

そう感じるのは、価格を上げると売れなくなるため、企業が変なことをし始めたというのもある。たとえば明治の「おいしい牛乳」が1リットルから900ミリリットルに変更された。もう4年も前の話だが、お値段据え置きで量を1割も減らしているわけで、実質的には1割の値上げみたいなもんだ。だったら1割上げりゃいいのに、安く見せるためにそうしない。
元々、これをやったのがセブンイレブンで、198円で売りたいがために独自ブランドの牛乳を900ミリリットルにしていた。
企業がセコいことをしているように見えるが、値上げしたら買わなくなるケチくさい消費者の問題かも知れない。いつから日本人は安もんばかり買うようになったのか。

最近はメガネが安い。昔は1本5万円くらいするのが当たり前だったが、今では1万円から2万円で非球面レンズのメガネが買える。おかげで何本も買えるようになったわけだが、2万円以下のメガネが当たり前になってしまうと、そのうち牛乳みたいに値上げできなくなってショボくならないか心配だ。

同様に紳士服も2万円とか3万円のものばかりになってしまい、昔からある紳士服屋がかなり苦戦しているらしい。紳士服が5万円から8万円はするのが当たり前だったのがおかしい気もするが、安いスーツが当たり前になり、それに加えて夏にはクールビズのおかげでサマースーツを買うこともなくなったため、紳士服屋が苦戦するのは当然だろう。
私は5~6年前に洋服の青山で2着8万円くらいのツーパンツスーツを買ったっきり、スーツを買っていない。しかも、2着買ったうちの1着しか着てないので、もう1着は新品のままだ。夏にスーツを着なくなったせいだ。このままだと10年くらいスーツを買わずに済むかも知れない。

クールビズのおかげでネクタイも売れなくなったそうだが、先日、久しぶりにネクタイを買った。P.S.FAという安いスーツを売っている店で、1本980円のネクタイを3本買って2500円くらいだった。
買ったネクタイを締めるときに気がついたのだが、手触りがいつものと違う。久々に買ったネクタイだが、これまで1本1000円くらいのネクタイでもシルクでできているものばかりだったが、タグを見るとポリエステル100%と書いてある。ポリエステルのせいでウォッシャブルとも書いてあったが、ネクタイは洗えることより手触りの方が重要に思える。シルクとポリエステルではパッと見はよく似ていても、締め心地が全然違う。これでは、牛乳が価格据え置きで1リットルが900ミリリットルになったことより酷い。生乳が低脂肪の加工乳になったようなもんだ。
だとしたら、1本980円にこだわらずにシルクのままで1480円とか1980円にすりゃいいのに、なかなか値上げには踏み込めないのだろう。

仕事関係のものについていつも安いものを買っておいてなんだが、消費者や企業のこういうセコいところがデフレからなかなか脱却できない原因なのだろう。完全にデフレマインドに陥ってしまい、値上げができずに安売りを続け、価格を維持するために内容をショボくする。企業は儲からず、給料は上がらず、経済も回らない。
日本の物価はアジア諸国に比べて高くないどころか、ものよっては安いものがかなりある。日本が安い国に落ちたと言われるのも当たり前だろう。安い国だから中国人や台湾人、韓国人が押し寄せて来るわけで、皆がいい観光やいいサービスを求めて来ているわけではない。

このままだと日本がどんどんショボい国に落ちぶれていくに違いない。
政治や企業に文句ばかり垂れる前に、消費者として安いものばかりを好き好んで買ってきたことも改める必要があるのだろう。

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