先っちょマンブログ

2020年07月

20200731-1

台湾・台北市内にある中華民国総統府の近くに二二八和平公園という公園がある。現在の総統府は日本統治時代の台湾総督府の建物で、同じく二二八和平公園は台北新公園として整備された公園だ。
現在の公園は民進党の陳水扁政権時代に名称が改められた。日本撤退後の1947年に国共内戦で破れて台湾にやってきた国民党が台湾人を弾圧し、数万人を殺害したとされる二・二八事件の犠牲者を追悼する公園となった。

年寄りが朝から太極拳を踊ったり散歩している公園で、敷地内に生えている大きな木には人になれた巨大なタイワンリスがいて、のんびりとした時間が過ごせる公園だ。
その一方で、公園の端の方には犠牲者を追悼する紀念碑や台北二二八和平紀念館があり、事件の資料などが展示されている。
二二八和平公園は二・二八事件の事件の中心地であり、紀念館はかつてのラジオ局だった。国民党の弾圧に反対する台湾住民らが占拠し、政府が強制排除を行った建物であり、非常に感慨深いものがある。

二・二八事件は日本でも世界でもよく知らない人が多い。注目されたのは1989年の台湾映画「非情城市」がヴェネツィア国際映画祭で金賞を受賞したことがきっかけだった。
二・二八事件では蒋介石が引き起こしたものだが、台湾では1949年に蒋介石率いる国民党政権が戒厳令を発し、息子の蒋経国が死ぬ直前の1987年まで38年も続いた。戒厳令下の弾圧は白色テロと呼ばれ、台湾の知識人やエリート層の多くが刑務所送りにされた。

蒋介石と蒋経国というふたりの親子独裁者が行った台湾統治を大幅に見直し、民主化への道を進めたのが蒋経国の死後に副総統から総統代行となり、のちに初めての直接選挙で総統となった李登輝だ。台北市や高尾市の市長選で直接選挙を実施し、1996年に初めて総統の直接選挙を行った。
李登輝は直接選挙を行ったほか、中国共産党が大陸を支配していることを認めたうえで台湾や周辺の島嶼に別の国家があると主張し、国共内戦の終結宣言を出して台湾の民主化を進めた。
今の台湾があるのは間違いなく李登輝のおかげであり、彼がいなかったら台湾は今でも独裁体制が続き、戒厳令が敷かれる息苦しい国であった可能性がある。
日本で「民主化の父」と称されるのは当然であろう。

彼は猛烈な親日家としても知られ、もっとも得意な言語は日本語だとされていた。台湾華語(北京語)は台湾訛りが強い一方、日本語は非常に流暢だった。
「尖閣諸島は日本固有の領土だ」などとたびたび親日的な発言をして、台湾で物議を醸したことも多い。
農業の専門家でもあり、日本統治時代の台湾南部で灌漑事業に尽力し、嘉南大圳や烏山頭ダムを作った八田與一を大きく評価しており、日本統治時代の評価を改めたのも李登輝だった。八田與一は台湾の教科書に記述があり、台湾人なら誰もが知る日本人だ。

そういうことがあってか、日本では李登輝元総統が称賛されるわけだが、当の台湾では批判する人が結構いる。台湾版Yahoo!のYahoo奇摩のニュースであるYahoo!新聞で、李登輝逝去のニュースが数多く掲載されているのだが、そこについてあるコメントは李登輝批判がかなり多い。
以前にも書いたが、Yahoo奇摩のニュースのコメント欄は中国シンパや国民党シンパに占拠されており、かなり偏っているために台湾人の意見を代表するものではない。とはいえ、死んだ人にも悪辣な言葉がたくさん並べ立てられていることに溜息が出てしまう。

李登輝は台湾で「黒金政治」と呼ばれる政治腐敗を主導したとされることがあり、「黒金教父」と揶揄されている。黒金とは、黒社会(ヤクザ)の力と金の力による買収を表しているという。
それ以外に、親日家であったことから「日本の犬」と呼ばれ、「大好きな日本に帰れ」と罵られていた。
なんとも心苦しいコメントではないか。

Yahoo!新聞の論評で、ある評論家が李登輝元総統について次のように表現していた。
彼を愛する人々は民主化の父として、台湾の父として尊敬している一方で、彼を憎む人々は反中を進めた日本帝国の残党として軽蔑し、台湾の発展の妨げとなり、両岸(台湾と中国)関係を破壊したとして非難している。
そのように彼を認めない人であっても、彼の粘り強い強固な意志と卓越した政治戦略は称賛せざるを得ない。
ところが実際は、訃報のコメント欄で罵詈雑言が並ぶというなんとも悲しい事態になっているわけだ。中国やそのシンパのネット工作恐るべしというところだ。

そうやって政治に自由な文句を付けられ、好きに映画や音楽を作れるようになったのは、李登輝が進めた民主化の賜物だろうにと思わずにはいられない。もしかすると表現の自由がない社会が継続していたかも知れないのに、それを評価せずに中国との関係を壊したと批判している場合だろうか。
香港があんなことになっている今こそ、民主化を進め、中国と決別した李登輝という類まれな政治家を評価すべきではないか。

台湾で李登輝の評価が二分するなんて日本のニュースだけ見ていたら知る由もないが、台湾を民主化に導き、日台の友好関係の礎となった日本での李登輝の評価は不変であろう。

20200730-1

韓国の平昌にある「韓国自生植物園」に安倍首相が慰安婦の少女に土下座する銅像が作られ、来月公開とのことで話題になっていた。「永遠の贖罪」と銘打たれた銅像は、植物園のプレスリリースでは「少女に跪いて謝罪する安倍」とされている。

一国の宰相が土下座する銅像を作って喜ぶ韓国人のことは当然日本でもニュースになるわけで、「日本人が怒っている」と韓国でもニュースになった。韓国の反応は様々で、「外交的儀礼を欠いている」というものもあれば、「謝罪しない安倍の代わり」とか「日本大使館前にも作れ」と肯定的な反応が多いという。

まずこの銅像であるが、日本人で怒っている人がどれほどいるのか疑問だ。日本のマスコミは当然否定的に報じるわけだが、これまで安倍首相は反日デモで写真を燃やされたり、模して作られた人形を袋叩きにされていた。勝手に土下座している銅像くらいいつか作るだろうと思った人が多いのではないか。
総理大臣を侮辱されて怒るというより、「やりそうなことを本当にやりやがった」と呆れている人が多いのではないか。

韓国人は「日本は謝罪をしない」と言うが、これまでの歴代首相と同様に安倍首相も慰安婦に関して旧日本軍の関与を認めて謝罪はしている。
韓国人がいう謝罪とは遺憾の意を伝えることではなく、一国の宰相がこうやって土下座することらしいが、こんなことをする人間は鳩山由紀夫以外にいないのではないか。

「安倍が気に入らないから銅像で土下座させてしまえ」という精神勝利はいかにも韓国らしい。被害者意識や妄想を具現化した銅像なんぞなんのプラスにもならず、あまりに非建設的なやり方に普通の人なら不快感も感じそうなもんだが、そこらへんの感性は韓国人とそれ以外の人間では違うようだ。

いかにも非常識ではあるが、民間の植物園に作られたものなのだから放っておいたらいいように思う。植物園の園長は銅像の公開が日韓でニュースになるやいなや、「安倍ではない」と言い始めた。土下座する男について「謝罪する立場にあるすべて男性であり、日本人あるいはこの少女の父親かも知れない」としており、日本人が勝手に土下座させられているのかと思うと不快ではあるが、小学校の図工の時間に日本人を銃殺する絵を書くような国の連中になにを言っても仕方がない。

菅官房長官が定例記者会見でこの銅像について苦言を呈していたが、質問されたから答えたまでで、ウィーン条約違反となる大使館前の慰安婦像と違って民間人が勝手に置いたものだから、日本政府が撤去を求めたりはしないのだろう。
どちらかというと恥ずかしい銅像なのだから、そのまま展示させておけばいい。子供が描いて教室や駅に掲示された日本人殺害の絵と同じで、韓国の国民性をよく表すものではないか。
慰安婦像や徴用工像を立てて神聖化すれば日本を貶められるし商売もできると学んだ韓国人がそこらへんに土下座像を作りまくるかも知れないが、もっと作ってもっと公開すればいい。慰安婦像も土下座像も山ほど作って韓国国内に設置しまくればいい。空港にないから、外国人の目につくように国際線ターミナルに置くといい。

韓国では暴漢がリッパート前米大使の顔を切り裂いたことに飽き足らず、次のハリス大使が日系人で気に入らないとして、どのように首を切り落として殺害するかを競い合う斬首イベントを開催しようとしていた。韓国政府に止められて、ハリス大使の口髭を抜くというイベントに変わった。
アメリカ大使を貶める民間団体の企画は韓国政府が制止できるが、安倍首相の土下座像はどうでもいいというのが韓国政府の立場なのだろう。
日本は植物園の園長や韓国政府の対応に怒るのではなく、ニヤニヤしておけばいい。

このニュースに関して、古谷経衡という評論家がYahoo!ニュースのオーサーとして変なことを書いていた。知らない人のためにいっておくと、古谷経衡は「元ネット右翼」を自称する評論家で、ロン毛で茶髪のルックスでAbemaTVで千原ジュニアが司会する「ABEMA的ニュースショー」に出ている。

【Yahoo!ニュース】韓国「安倍首相土下座像」への日本政府苦言の違和感 (2020/07/30)

古谷は「日本のネット右翼が大騒ぎしている」と揶揄している。「ネトウヨどもは自分たちがやっているヘイトスピーチをよそに韓国を批判している」という内容だ。韓国のニュースで同じことを言っているヤツが結構多い。

それにイマイチ納得がいかないが、それよりも気になるのが「スミソニアン博物館のエノラ・ゲイの展示には文句を言わない日本政府」という批判だ。アメリカには頭が上がらず、韓国にだけ強く出ているとしている。
原爆投下が戦争終結を早めて多くの人を救ったというアメリカの主張は誤りだと思うが、エノラ・ゲイは日本に原爆を落としたというのは紛れもない事実だ。実在する爆撃機の展示と、妄想から生まれた土下座する安倍首相の銅像の展示を同列で語り、エノラ・ゲイには日本政府が文句を言わず、個人が作った銅像に文句を言うのはオカシイというのが古谷の主張だ。日本人を何十万人も殺したアメリカ人には頭が上がらず、日本人をひとりも殺していない韓国人には偉そうにするというのが古谷が見る日本らしい。
頭がどうかしてしまっているのだろうか。

古谷経衡は「ネット右翼だった過去を捨てた保守系論壇」を気取っているらしいが、小林よしのりの二番煎じに見える。二番煎じというには、共感の少なさや主張の弱さが目立ち、小林よしのりの足元にも及んでいないが。
保守を気取っていると、「自分はその他大勢の愚かな保守どもとは違う」という万能感に近い「オレは特別」というポジティブな自己肯定を感じがちだ。小林よしのりはリベラルから転じた保守だったのに、親米が過ぎる保守論壇に愛想を尽かして反米保守となり、そのうち「自分こそが真の保守」と主張するようになった。小林は安倍首相やその支持者、ネット右翼を強く批判している。

古谷経衡にはそれと似たようなものを感じる。昔はネット右翼をやっていたが、周りがあまりにもバカばかりであることに目が覚め、「そいつらとは違う保守にオレはなる」という匂いがプンプンするのだ。
ものごとを強引にひねた感じで評価し、ほかとは違う感を出したがるヤツで、中二病みたいなもんだ。そういうキャラを作り出し、自己暗示しているかのように見受けられる。
「ABEMA的ニュースショー」をたまに見ているが、コイツを見るたびにそう感じてしまう。

かく言う私もブログで他人の保守批判をしているわけで、人のことは言えないとは思うが、古谷経衡ほどひねていないし、どちらかというと一般的でありがちな主張が多いと思う。古谷がネトウヨとバカにするようなタイプだ。
私は自分が特別でありたいと思わないし、その他大勢に埋没する人間で構わないと思う。それと同時に、狙って変なことを主張する古谷経衡みたいな論壇はYouTuberを見ているようでクソサブいと感じるし、そうはなりたくないと心から思う。

20200729-1

家や会社のデスクにいるときはマスクを着けないが、それ以外ではマスク着用が推奨されているため、このクソ暑いなかマスクを着けている。我ながらなんてマジメなんだと自分で自分を褒めてやりたいが、皆がやっている義務みたいなもんなので当たり前のことではある。

コロナ前に買っていた不織布マスクの在庫がまだあるが、夏に使ってみると意外と暑いし、もったいないので使い捨てにせず何回か使うと不織布が毛羽立ってきてこそばゆいので最近は使っていない。
不織布マスクが以前のように50枚300円くらいで売っているのなら毎日使い捨てればいいが、緊急事態宣言下のときと違って簡単に手に入るようになったとはいえ、2000円するのが当たり前になってしまったので、40円くらいするマスクを毎日使い捨てたうえ、定期的に購入する気も起きない。我が家はおぼっちゃまくんのようなブルジョアジーの家ではない。
だから、いろんなマスクを買ってみた。

アマゾンで探すとよく分からないマスクのくせに高額なものが多いので、Yahoo!ショッピング(一部PayPayモール)で買ってみた。Yahoo!ショッピングも胡散臭い中国製のものばかりだが、アマゾンより安価で、かつ送料無料のものが結構ある。

とりあえず接触冷感を謳う夏用布マスクを買った。3枚699円で送料無料という商品だ。7月初旬に買ったショップが現在閉店中で、商品のリンクを貼ることができない。いかにも胡散臭いが、マスク自体は値段の割に普通だった。耳にかける部分がゴム紐の立体的な形のマスクだが、布を縫い合わせた部分がゴワゴワしていて、それが口の真ん中部分に来るから少し気になる。
あと、どのマスクでもそうだが、接触冷感なんてないに等しい。着用した瞬間だけ普通の布より若干ひんやりしているように感じるだけだ。ただ、サラサラした感触なのはいいとは思う。

それとは別に、300円ショップの3COINSでも接触冷感の布マスクを2種類買ってみた。1枚330円でこちらもそれほど悪くないが、息を吸い込むと内側の布だけ顔にペタっとへばりつくことがときどきあって、表の布と縫い合わせくれと思った。
3COINSのホームページに商品紹介がないのだが、店頭ではわりと多く売っていると思う。

安い夏用布マスクでも悪くなかったが、もっと通気性のいいマスクを求めてウレタンマスクを購入した。PITTA MASKのパチモンだ。
これがよくない。ウレタンマスクは通気性がいいが、飛沫の拡散をどれだけ防げるか疑問だ。飛沫拡散の防止にならなければ、マスクをしている意味がない。また、型で抜いたウレタン2枚を接着しただけのマスクが4枚500円ってのも高いと思うし、耳にかける部分が2回目の装着で切れてしまったこともあり、品質があまりよくない。
ウレタンは水を吸い込みそうな感じがするが、顔に汗をかいてもまったく吸い込まず、マスクの表面が汗で濡れてしまう。これだと汗を吸収して気化させる布の方がいいかも知れない。

【Yahoo!ショッピング】洗える マスク 4枚セット

ほかのウレタンマスクも多分似たようなもんだろう。

ウレタンのマスクはダメだと思ったので、27日(月)に布製でウレタンマスクのような立体成型のマスクを注文した。グンゼが国内生産しているもので、品質は多分いいと思う。2枚1078円だ。

【Yahoo!ショッピング】日本製 GUNZE(グンゼ)/洗える 布製マスク(2枚入り)(男女兼用)

ちなみにこのマスク、2日後の29日(水)に発送された。送料は無料だが、29日にセブンイレブンでまったく同じものを同じ価格で売っているのを見かけたので、わざわざネットで買う必要はなかった。
コンビニでは不織布マスクから夏用布マスクまでいろんな種類のマスクが売られているようだ。普段コンビニに行かないので知らなかった。

春頃にotona de kodomoというメーカーのマスクも買った。こちらは厚いウレタン素材でノーズワイヤーが入っており、作りが非常にいい。ただ、夏には不向きだ。3層だったウレタンを2層にした「ライトマスク」も買ってみたが、「少しだけ薄くなって新登場」という説明どおり、ほんの少し薄くなった感じがするだけで、炎天下でこのマスクを着用してでかけたら死んでしまうのではないか。

【otona de kodomo】マスク関連グッズ

ほかにもいろいろ試そうと思ったが、夏に不向きといわれるユニクロのマスクは買えていない。ミズノのマスクも抽選が当たりそうにない。多分一生買えないだろう。
無印良品の夏マスクもいつ行っても売り切れ。しまむらで販売が始まった3枚490円の夏用布マスクも常に売り切れ。
どれも買ってレビューすることができない。

いろいろマスクを試そうと思っているのだが、なんで身銭を切っていろいろ試さないといけないのかと思う気持ちもある。決定版ともいえるマスクがあればいいのだが、そういうのがあったとしても、購入競争に勝たねばならない。
おそらく、多くの人がいろんなマスクを試そうとあれこれ買うので、いつまで経ってもよさそうなマスクが買えないのだろう。

私の場合は通勤のついで、あるいは会社の近くの店舗でマスクを探すことが可能だが、移動範囲が限られていて、ネットショッピングもできない人はいろいろ選べないかも知れない。ドラッグストアで不織布マスクを買えばいいが、何回か使うにしてもそこそこ負担になる。

不織布マスクを買えなかった4月5月の頃を考えれば、いわゆるアベノマスクの配布は有意義だったとは思う。誰があんな小さいマスクを使うのかと思うが、マスクを持っていない人が結構いた。ただ、全世帯配布にするから時間がかかりすぎた。「役所に取りに行け」の方が早かったとは思うが、役所で密を避ける労力とのトレードオフで全世帯配布にしたら遅くなりすぎた。
それに、やはり昔ながらのあのデザインのマスクはなかろう。元々小さいのに、洗ったらさらに小さくみすぼらしくなってしまう。分厚い布で暑苦しいし、声もとおりにくい。ミズノやユニクロのマスクでも配ってりゃ喜ばれたのかも知れないが、せっかくマスクを配ったのに非難ばかり浴びている安倍政権は何をやっているのかと思ってしまう。

しかも、あれだけ評判の悪かったアベノマスクをさらに追加で8000万枚、保育園や介護施設向けに配布するのだという。求められていないのに「これをお使いなさい」と布マスクを差し出す政策だ。これに100億円超かかるらしい。
これは税金の無駄遣いと言われても仕方がない。

まるで意固地になっているかのように、安倍首相がひとりでアベノマスクを着用する分には構わないが、批判がまるでなかったかのように同じマスクを追加で8000万枚配るのは間違っているようにしか思えない。3COINSで売っているような立体型のマスクならまだしも、給食当番が使う長方形の布マスクはなかろう。

今のアベノマスクは1枚あたりのコストが144円らしいが、立体成型の布マスクでも8000万枚も発注すれば原価がぐっと抑えられるはずだ。使用する布と型を指定し、1000万枚を8社に注文すれば144円より少し高くなるくらいで抑えられないだろうか。
それを「アベノマスク2.0」として配布すれば、今とは逆に「俺にも寄越せ」という批判が出るのではないか。そのくらいでちょうどいい。

コロナ対応ではいろいろ間違った政策が取られることがあるかも知れないが、間違っていたと分かったら次やるときに改善すればいい。間違った法律は後で改正すればいいし、原発の運用が間違っていたのであれば改善すればいい。アベノマスクは配布の遅さもあったが、マスク自体への不満がかなり大きかった。だとしたらそれを改善してもっとマシなマスクを配るべきなのに、最初の失敗を認めたくがないために8000万枚の追加配布をするように見えてならない。

失敗を許さない国民にも問題があるのかも知れないが、失敗を認めようとしない政府によるところが大きいと思う。「問題はなかった」と言い張るより、「問題があったので改善した」と言える政府であるべきではなかろうか。

20200728-1

日本と欧米では「ロボット観」が大きく異なるとよく言われる。日本では「鉄腕アトム」や「ドラえもん」といった漫画で古くから見られるように、ロボットを人間の味方、友人と見なすことが多いが、欧米では人類に反抗する脅威として描かれることが多い。
必ずしも全部が全部そうではないが、その傾向は間違いなくあると思う。

アイザック・アシモフが代表作「われはロボット」でロボット三原則というのを提唱して有名になった。ロボットは人間に危害を及ぼしてはならず、人間の命令に服従し、自己を守らねばならないという原則だ。「われはロボット」はウィル・スミス主演の映画「アイ,ロボット」の原作で、ロボットが三原則に背く事件を起こす話の短編集だ。

欧米のロボット観は宗教的なものが大きいとは思うが、ロボットが大きく注目された小説や漫画の影響によるところもあると思う。アシモフが1950年に描いた作品のおかげで「人類を助けるはずのロボットが人類の脅威になり得る」という価値観が欧米で定着してしまったのではなかろうか。
手塚治虫も「火の鳥」でロビタという人間に反抗することになるロボットを描いている。「われはロボット」に出てくるロビイというロボットがモチーフになっているのであろうが、日本ではロビタのように人間に反抗するロボットも出てくるとはいえ、人間の味方のロボットの方が圧倒的に多い。

ロボットやコンピュータやらが人間に反抗し、人類の敵となるようなことが実際にあり得るのだろうか。AIの暴走で人類を自分たちの敵と見なして攻撃を仕掛けてくるなんてのがよく描かれるが、そんなことになるとは思い難いし、AIやロボットを作る人間の方もバカじゃないので、安全面を考慮した設計を行うはずだ。AIがそれを勝手に解除してしまうのが映画のパターンだが、そんなことが可能だろうか。
もし仮にロボットが反乱を起こしたとして、ロボット兵士であっても人間が簡単に倒せるのではないか。ロボットが使う武器の弾やミサイルは有限だし、ロボットを倒しつつ、ロボットが工場でロボットを生産できないようにしたら終わりだ。反乱したロボットが工場でロボットを作ろうとしても、供給を断てば作れなくなってしまう。

そんなふうに描いたらしょーもなくなってしまうので、ロボットの反乱が起きたら、ロボットは無限に攻撃できて、大量に出回っているロボットが一斉に反乱を起こすわけだが、にわかに想像し難い。我が家にはロボットの名のつくものがお掃除ロボットのルンバしかないので、脅威に感じないだけだろうか。

それはともかく、1体だけの反乱なら人間ひとりで対応できそうだが、ロボット相手にアホ丸出しの人間がたくさん殺されるという映画があった。2019年に公開された「チャイルド・プレイ」だ。

過去作品のリブート版で、チャッキーという名前で知られるロボットが人殺しをする映画である。
元は殺人鬼がブードゥー教の呪術で子供のおもちゃのロボットに魂を移し、人間を殺しまくるという話だった。
2019年版では、おもちゃのロボットのAIが暴走して人殺しをするという、過去の映画の元々の企画に沿った内容に変わっていた。30年前にはAI搭載の高性能ロボットなど存在せず、今の時代になってようやく作ることができた映画であるらしい。

主人公の元にやってきたチャッキーが主人公の"本当の友だち"になろうとして、主人公によくない対応をした人たちを次々と殺していくという内容だ。
チャッキーが「ホーム・アローン」ばりのトラップを駆使し、芝刈り機で頭の皮を剥いだり、電動ノコギリで下半身をぐちゃぐちゃにしてしまう。自ら包丁を持って何度も突き刺して殺したりもする。
「おもちゃの人形が包丁を掴めんのかよ」と思うわけだが、大の大人がちびっこい人形にギャーと悲鳴を上げ、むざむざと殺される。どいつもこいつもアホばかりだ。プロレスで相手の技を受けるかのように、わざわざチャッキーを迎えに行くような殺され方ばかりだった。

最後はチャッキーと同じ人形の新製品を買い求めて集まった人たちをチャッキーがドローンで攻撃する。ドローンといってもアメリカ軍が使う無人偵察機のミサイル攻撃ではなく、4つのプロペラが付いた個人用のドローンで、ドローンのプロペラで人間の首を切る。
ドローンのプロペラがどこかに当たれば、ドローンはバランスを崩して飛んでいられないし、そもそもドローンのプロペラで人間を切るなんてことができるとは思えないが、アホな人間たちはギャーと悲鳴を上げるだけでドローンに首を切ってくださいと言わんばかりに棒立ちだった。

「チャイルド・プレイ」は呆れるほどつまらない作品で、現実感がゼロだった。せめて「そんなこともあり得るかも」と思わせてくれる内容だったらよかったのに、最初から最後まであり得ないことのオンパレードで、こんなものを大人が真剣に作ったとはにわかに信じがたいものがある。
チャッキーの誕生もAIの暴走ではなかった。ベトナムかどこかの工場で、工場をクビになった従業員が腹いせで人形の制御プログラムを書き換えた人形を1体だけ作ったことが原因だった。不適切な言語の使用制限や安全機能を外しますかという問いに「はい」と答え、そのプログラムだか設定だかを書き込んだチップをチャッキーのセットしていたが、モノづくりの観点から言うとそんなことは絶対にあり得ない。

まず、製造現場で各種機能制限をセットするかしないかの設定を書き込むことなど絶対にない。プログラムのデバッグ用として機能制限のオンとオフを切り替えられるようになっているかも知れないが、それはあくまでも開発者用であり、勝手に書き換えられるようになっているわけがない。映画ではホームレスだった男が工場で働いていたが、そんな男が簡単に危険な設定にすることができるのであれば設計がオカシイことになるが、普通に考えるとそんな作りにはならないはずだ。
さらにDIPというソケットに差し込む形式のクソでかいICに設定が書き込まれ、静電手袋もしていない労働者がそれをチャッキーの本体に嵌めていたが、この21世紀の大量生産品にDIPのFlashROMを使っている製品がどこにあるというのか。大量生産品は生産時間を短縮して原価を下げるため、FlashROMは予めプログラムを買い込んだものを納入させ、それを基板に実装するのが基本だ。普通にやれば、人形に嵌め込むだけの基板をどこかで製造し、それを人形の組立工場で人形に入れ込むだろう。大量生産品の人形の工場で1個1個プログラムやら設定やらをROMに書き込むことなどあり得ない。

最初にそういうめちゃくちゃな製造シーンを見てしまったので興醒めだった。設定が甘い映画が、冒頭でイマイチでも途中から面白くなるわけがない。アホでも見て分かるように作ったのかも知れないが、幼稚園児向けならともかく、15歳以上向けの映画としてはどれもこれもあまりにも雑すぎる。
チャッキーが家電売場のテレビの映像を勝手に操ったり、複数のドローンを操ったり、「どうやってやっとんねん」とツッコまずにはいられなかった。なぜ映画に出てくるAIは簡単に他の機器をハッキングできるのか。
せめて映画が冗談ぽく作られているのならよかったが、マジで作っているのが空恐ろしく感じた。

こういうアホ丸出しのしょーもない映画を作る人間がいることを思えば、AIやらロボットやらが反乱を起こしたとして、人間を捻り潰すのも可能なのではないかと思えてきた。この映画の制作者らは、映画に出てきた人々のように棒立ちでロボットに殺されるに違いない。
「チャイルド・プレイ」はそう思ってしまうほどクソ映画だった。

20200727-1

昨日26日(日)放送の「ワイドナショー」で松本人志が新型コロナウイルスの新規感染者数について、情報番組や夕方のニュースの街頭インタビューでそこらへんの人に「今日の感染者は何百人です」と伝え、「えー!」と驚くリアクションを放送していることを「あの演出は何なん?」と疑問を呈していた。
山崎夕貴アナが「街の人がどういう受け止め方をしているかお伝えしている」とフォローするも、松本は「そういうリアクションをした人だけ放送して遊んでいる気がする」と言っていた。
本当にそのとおりだと思う。

なぜ視聴者が見ず知らずの一般人の受け止め方を報道番組で見なければならないのか、私も前から疑問だった。専門家へのインタビューならまだしも、感染症も公衆衛生にも明るくなく、統計学も知らない素人の反応に何の意味があるのか。私ならインタビューされたら「なんで私に訊くんですか?」と言うだろう。そして、そのインタビューはボツになるに決まっている。
個人的には、芸能人の引退やら、誰それが死んだことへの街頭インタビューも不要に思う。知らんヤツが「えっ」と驚くのを見て何の意味があるのか。

これは日本のテレビの悪いところではないか。日本のテレビ番組は他の国と違ってワイプを出すことが特徴的だとよく言われる。画面の隅の方に表示されるワイプの中で驚いたり、笑ったりしているタレントを視聴者に見せ、「この人はこんなに驚いたり笑ったりしているんですよ」とテレビ番組が視覚的に訴えている。それを見た視聴者は、「この人も自分と同じように笑っている」などと安心感を得たり、笑いやら戸惑いを誘われたりするわけだ。
コロナの感染者数に驚く人を見せられ、「自分と同じだ」と思ったり、「驚いている人もいるから、自分も驚くべきなのか」と思わせるつもりなのだろう。

自分の家族や知り合いならともかく、どこかの知らないオバハンのリアクションを見てそう思う人が本当にいるのか分からないが、テレビ番組の制作側に必要だと思われているからクソどうでもいい街頭インタビューを見せられるのだろう。

そういう意味では、情報番組に出ているタレントも不要だ。朝や昼の情報番組は芸人や素性の分からない文化人に意見を求めるが、そんな連中の意見を聞きたい人がどれほどいるのだろうか。特に新型コロナウイルスに関してタレントに語らせている番組は見る価値がない。門外漢の意見を聞く時間があるのなら、その分専門家に語らせたらいいではないか。
ド素人が「心配ですね」とか「政策に憤りを感じます」などとテレビで能書きを垂れてもクソの役にも立たない。専門家がもっと建設的な意見を述べた方がいいに決まっている。

日本のテレビ番組は押しつけがましいものが多いように感じる。見知らぬ他人や二流タレントがニュースに心配しているのと同じようにお前らも心配しろとか、ワイプに出ているタレントみたいに笑えとか言われているかのようだ。
情報の受け止め方は人それぞれであって、他人がどう思っていようが、自分と同じ考えであろうが、余計なお世話でしかない。

他人の反応が問題なのは、世論調査と違って制作側の切り取りを見せられることにある。50人に街頭インタビューをして、49人が驚かず、たったひとりだけ驚いたニュースがあったとして、その驚いた人だけ情報番組で報道されたら、皆が驚いているかのような印象を与えてしまう。印象操作はいくらでも可能で、そんなもんは矜持なきテレビマンはいくらでもやるに決まっている。
だから、そんな意味のない街頭インタビューなど放送すべきではないのだ。

一般人として、ヘラヘラとテレビの街頭インタビューを受けるべきではない。有吉弘行がラジオで4連休に旅行に行った家族のインタビューがまるで「このコロナ禍で出てきたクソバカ野郎」であるかのように報道されていたと苦言を呈していた。インタビューを流したあとに「今日の感染者300人を超えています」とニュースを流しており、さらに印象を悪くしており、たとえNHKであってもインタビューは受けるなと有吉は言っていた。
例年見られた連休中にどこに行くのかのインタビューならいいが、コロナ禍において批判を受ける可能性があるインタビューを受けることはデメリットしかない。テレビに映って喜んでいる場合ではない。他人が旅行に行ったことなどどうでもいいのに、それを見て怒るヤツがいるのだ。

また、日本のテレビのニュース番組には必ず解説者がいるが、あれも街頭インタビューと同様に不要だ。解説者は何かにつけて文句を垂れ、どんなことも深刻に捉えて憂慮し、視聴者に向かってどれそれが問題だと主張する。イデオロギーの押しつけみたいなことをまでやってくる。
ニュース番組ならばアンカーが進行に徹して事実のみを伝えるニュースのVTRを流せばいいものを、視聴者をアホだと思っているのか、ニュースのVTRを流した後に解説者が「こういう受け止め方をしろ」としゃしゃり出てくる。

ニュースを見るたびに「お前に言われる筋合いはねえわ」と思う。解説者がどう思っているかなんか知らないし、興味もない。
解説者の解説が必要なくらい難しいニュースならば、そいつが話す時間分VTRを増やし、そこで分かりやすい解説をすればいい。

結局のところ、日本のテレビ番組は視聴者をアホ扱いし、「こんな街頭インタビューを流しとけば視聴者が共感しよるやろ」とか「このニュースの意味をアホどもに分からせるために解説が必要やな」とやっているに過ぎない。
いい加減、この状況に視聴者が腹を立ててよさそうなもんだが、何となくテレビを見て、何となく受け入れてしまっている視聴者が一定数以上いるからずっと同じことが繰り返されているのだろう。

他人の感想なんかいらないことをテレビ番組の制作サイドはいい加減気がつくべきではないか。
そんなことは承知のうえであえてやっている可能性の方が高いので、改善されることはないとは思うが。

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