先っちょマンブログ

2021年04月

20210430-1

今日は滋賀県の運転免許センターに行ってきた。自分のためではなく、嫁さんの運転免許の更新のためだ。滋賀県には運転免許センターが2か所あるが、メインとなる守山市の運転免許センターは最寄り駅からバスで30分、片道470円もかかる琵琶湖岸の辺鄙なところにあるため、車でしか行けない。
いつも嫁さんは警察署で更新していたが、警察でやる場合は2回行かないといけないため面倒くさい。今回は私が送っていくことにした。

嫁さんを送り届けたあと、連れてきた犬を散歩させるために琵琶湖岸の湖岸道路を車で通った。昨日から琵琶湖岸の駐車場が閉鎖されていると書いたが、本当に駐車場の入り口が閉鎖されていて、警備員が立っていた。
あれだけテレビのニュースでやったのだから無理に駐車しようとしたり、わざわざバーベキューをしようというヤツもいないのだろう。かなり暇そうで、座っておけばいいのに警備員が無駄に立たされていた。バリケードに腰掛けている警備員もいたが、座っていると仕事している感が出ないので立たされているのだろう。
警備員を立たせないとバリケードをどかして駐車するヤツが出てくるので見張らせているわけだが、税金を無駄に使わされている感じがある。

私は道の駅に駐車して、犬を連れて近くにある琵琶湖博物館周辺の公園を散歩した。琵琶湖博物館もコロナの影響で閉鎖されていて、駐車場も閉鎖だったが、職員だけは出勤しているようで、職員用と思われる駐車場には車が多く止まっていた。閉鎖しているなら休みにしてもよさそうだが、なにか仕事でもしているのだろう。

朝9時頃とはいえ、琵琶湖岸には本当にまばらにしか人がいなかった。ジョギングをしている人、琵琶湖のスケッチをしている人などを4~5人見かけただけだった。今日は学校がある日とはいえ、バーベキュー客なんぞどこにもいなかった。その代わり、バス釣りをしている人は多かった。
運転免許センター周辺は埋め立て地で、周囲が川のようになっており、釣り客が路上駐車してバス釣りなどをしている。ナンバーを見ると半数以上が京都、大阪、堺、神戸など他府県ナンバーだった。
運転免許センターの周辺道路はいつも釣り客の車で混んでいて、今日はかなり少ない方だったが、それでもそれなりの数はいた。しかも、緊急事態宣言が出ている大阪、京都、兵庫からわざわざ来ているのが目立った。琵琶湖岸の釣りなんて密どころか疎の状態で、バーベキューに比べればなんの問題もないと思うわけだが、それでもこの時期にわざわざ何時間かかけて琵琶湖まで来て釣りをしたい人が大勢いることに驚かされる。
私はイラチで、釣りなんかじれったくてやっていられないが、せっかくの連休に釣りをして、ついでに本を読んだり音楽を聴いたりして過ごしたくて堪らない人がいるのだろう。

極度の出不精である私には理解できないが、家でじっとしていられなくともちょっとくらい我慢できないものかと思ってしまう。
国民にステイホームを促すため、いろんなサービスが無料でコンテンツを開放しており、家でテレビやパソコンの前にいられるようにしている。昨年の連休中もステイホームを余儀なくされ、今年も我慢ならないかも知れないが、ちょっとくらい家にいてもよさそうに思える。

ソニーは以前から「Play at Home」という取り組みをしていて、「Horizon Zero Dawn Complete Edition」など人気のゲームを無料でダウンロードできるようにしている。この「Horizon Zero Dawn」は3月のアマゾンのセールで「グランツーリスモ SPORT」とのセットを2200円で買ったばかりなのに、まだプレイもしていないのに無料配布されてイラついた。しかも「グランツーリスモ SPORT」も割り引きで900円弱になっていて、900円で買えるものを2200円出してしまって後悔しているが、ソニーの取り組みとしてはいいと思う。

Huluでは日本テレビ制作の国内ドラマを期間限定で無料配信している。「家なき子」や「星の金貨」など古いものもあるし、会員登録も不要でそのまま見られるので暇つぶしにちょうどいい。

かくいう私は、この連休中も例年どおり手間のかかる芝生の庭の手入れをして、プライムとNETFLIXの動画配信で映画を見るだけ。それしか予定がなく、買いものをする予定も一切ない。今年は昨年と違って犬がいるので、出かけるのは犬の散歩のときくらいだろう。
仕事がある人もいるが、そうでない人が連休中にじっとしていれば新型コロナの感染者数をぐっと抑えられるチャンスだ。しかし、とにかく落ち着きのない人ばかりだから通勤が減るくらいしか感染減の効果が望めない。
本当にもったいないことだと思う。

20210429-1

アマゾンの電子書籍サービスのKindleには無料で読めるエロ本がある。Kindleストアでエロそうな言葉で検索して並べ替えで安い順に並べると、普段は100円とか300円で売られているのに期間限定で0円になっているものがある。
1か月くらいの海外主張であまりに暇だったときにKindleストアを眺めていて気がついてから、有料のものが期間限定で無料になっているなら手に入れておかないと損な気がして集めているが、今さらエロ本に興味もないし、見る気も起きない。
いくつか試しに見てみれば分かるが、アダルトビデオ撮影時のスチール写真か、最悪なのになると動画のスクリーンショットで構成されているだけで、面白くもなんともない。有料だとして誰がこんなもん買うのかと思う。喜ぶのは小学生とか中学生の男子だけではないか。

いつだったか忘れたが、「紀●のドンファン年下若妻!?」と銘打たれたエロ本が無料になっていた。説明を読むと、35億円の遺産を残して死んだ紀州のドンファンの55歳若妻が「ゆりか」という名前で素人AVに出演していたという問い合わせを多数貰うので、実際はどうか知らないが緊急リリースしましたと書いてある。
「なんじゃそれ」と思って当時は特にダウンロードもせず無料の購入だけしていたが、先日、その55歳年下妻が夫殺害容疑で逮捕されたとして思い出して見てみた。
今は整形して結構顔が違うらしいが、まあ多分本人なのだろう。

ネットで調べてみると今も5本のAV出演作品が配信されていて、売り上げが急増しているという。
そのゆりかこと須藤早貴はドンファンと結婚する前にAV出演していて、それがバレると離婚される恐れがあるため弁護士を通じてAVの配信停止をAV会社に申し出たものの、それが逆に目に止まってしまい、売り文句にされてしまったのだという。結局、ドンファンの耳にも伝わったようだ。

離婚されそうになってドンファンを殺害するに至った・・・かどうかは定かではないが、素人もののAVに出演していた女が55歳年上の金持ちと結婚し、その金持ちがすぐに死んだら疑われるのは当然だろう。
実際、ドンファンの死因は覚醒剤の経口摂取で、ドンファンの自宅の掃除機から覚醒剤が検出されたや、覚醒剤の売人と接触していたことから妻への容疑が濃厚になり、逮捕に至ったという。

今後の裁判で、検察側は覚醒剤での経口摂取で殺害したことを様々な状況証拠を積み上げて立証しつつ、夫婦生活が破綻していたとか、離婚の危機を迎えていたというのが殺害の動機になったとかを訴えるのであろう。難しい裁判になる可能性が高く、もしかすると須藤早貴という容疑者は無罪放免になるかも知れない。

「こいつ怪しい」で犯人扱いすると、実際は冤罪でとんでもない間違いを犯してしまうことがある。それを多くの人が味わったのが2007年に香川県坂出市で起きた女性と幼い孫の姉妹の3人が殺害された事件だ。
この事件では、幼女姉妹の父親が犯人扱いされていた。ドラマで有名な画家と同姓同名、独特は話し方とスキンヘッドのデブという風体のせいで「こいつが犯人に違いない」と多くの人がなんとなく思ってしまった。マスコミの印象操作も相まって父親犯人説が濃厚になっていたところで、殺害された祖母の義弟が逮捕され、のちに有罪となった。単に金銭トラブルによる犯行だった。

かくいう私もこの父親について「胡散くせー」と思っていて、別の親族が逮捕されたことは意外だった。この教訓がある以上、誰彼構わず怪しそうな人を犯人と決めつけるのは間違いだと思うようになった。推定無罪とかいわれるが、容疑者のためではなく、自分自身のためである。
坂出の事件では無名のアイドルが父親を犯人と決めつけてSNSに書き込んだために炎上していたが、「絶対にアイツが犯人」とかいって当たったところでなんだという話だし、外れたら恥をかく。そもそも、犯人っぽいヤツを犯人だと指摘して、それが当たっていたとしても嬉しくも面白くもなんともない。天才的推理で意外な犯人を当てた方がすごい。

山梨県のキャンプ場で8歳の少女が行方不明になり、母親が疑われ、SNSで中傷されているようだが、母親が犯人かどうかはもちろん、事件かどうかさえも分かっていないのに、「お前が犯人」と断言して攻撃する人の精神構造はどうなっているのか不思議だ。

これまで、犯人と目される人物にメディアが押し寄せ、メディアスクラムとしてプレッシャーを与えることが何度もあった。そのたびにマスコミは一定の反省をしてみせるが、すぐにそれを忘れて同じことをしている。
今度のドンファンの事件では、NHKが逮捕を嗅ぎつけたという情報が流れてマスコミが押し寄せる前に和歌山県警が逮捕したため、メディアスクラムに至らなかったが、人々の興味を引くような事件であるため、ワイドショーではこればかり取り扱っている。コロナ報道にいい加減飽き飽きしているところに、格好のネタが飛び込んできたわけだが、正直ドンファンの事件なんかどうでもいいし、こんなもんを予想するのは時間の無駄である。まだコロナのことをやっている方が有益だ。

ここしばらく情報番組でドンファン事件を目にしてしまうのを想像するとウンザリさせられる。情報番組なんぞクソの役にも立たないので一切見ないが、それでもテレビをつけたときに目に飛び込んでくる。別のニュースがあればいいが、勾留期間の延長やらなんやらで多分あと1か月はこの事件でもちきりだろう。
訳の分からん女と変人の金持ちの夫婦関係なんか知ってもなんの役にも立たないわけで、そんなことに時間を割く情報番組なんか見ていたらバカになると改めて思った。

20210428-1

大学に入学してスキーサークルとアウトドアサークルに入った。
スキーサークルは楽しくスキーをするサークルかと思ったが、半分部活みたいなサークルで、北海道で合宿して猛練習させられたうえにサークルの先輩が1年生全員に対して「期末テストを終えた2月3月はスキー場に住み込みの仕事をしに行って、空き時間にスキーの練習をしろ」と言い出したので速攻で辞めた。
なぜそんなことを言われないといけないのか理解できないし、ガチでスキーをやりたいわけでもなかった。「大会に出られるように」と買わされたオガサカのスキー板が無駄になった。もっとカジュアルに使える短い板なら使いみちがあった。

アウトドアサークルは大学によくあるイベントサークルもどきのチャラいものではなく、ちゃんとアウトドアをするサークルで、キャンプやカヌーをしに行った。4年間の一番のビッグイベントになったのが四万十川のカヌー下りだ。上流から海に出るあたりまで1週間くらいかけてカヌーで下った。別の機会に書くが、先輩がチャランポラン過ぎたり、あまりのしんどさにキレそうになったが、今となってはいい思い出だ。

キャンプの楽しみは食事を作って食べならが酒を飲み、連れ合いと話をすることだろう。
ただ、4年間アウトドアサークルに入ってみて、私はインドアな人間で、心の底からアウトドアを楽しんでいたわけではなかったことに気がついた。今では、嫁さんに四万十川や琵琶湖でカヌーとキャンプをしていたと言うと「めっちゃ意外」と言われるほど出不精で、キャンプとかバーベキューとかしようと思わない。でかけるのが面倒くさいし、なにより準備と後片付けが面倒くさい。
だから、最近のひとりキャンプのブームがイマイチ理解できない。人里はなれれてのんびりするのがいいのかも知れないが、ひとりでいたいなら自分の部屋でいいように思う。

それでも、外で食事をするのは気持ちいいし、なんかおいしく感じられるのは理解できる。
私の家は田舎にあって庭がそこそこ広いので、バーベキューのために出かけなくても庭でできてしまう。外のテラスにテーブルとベンチがあるので、年に1~2回、炭火焼肉をする。自宅でやれば、ゴミを持ち帰る必要もなく、皿もキッチンで洗えるし、炭の火を消す必要もない。車を運転するから酒が飲めないなんてこともない。

キャンプやらバーベキューをする人はいろいろ道具を買って、4~5万円するJackeryのポータブル電源を買って電源を確保したりしているが、家でやりゃそんなもんは不要だ。
キャンプ場でキャンプをしたいとか、バーベキューをしたいとか言われてもお断りである。考えるだけで面倒くさい。我が家には庭があるからいいが、なかったら外でバーベキューなんぞしないだけ。

だから、琵琶湖岸でバーベキューしている人たちを見て「ようやるわ」と思っていた。琵琶湖を一周する湖岸道路のうち、一部は駐車場があり、トイレや水道も完備されたキャンプやバーベキューにピッタリの公園がある。琵琶湖岸に沿って細長い形をした小円で、駐車場も利用料も無料。春先から秋までバーベキューをしている人でいっぱいだ。シーズン中、湖岸道路の駐車場はバーベキュー客に加え、琵琶湖でバス釣りをするでいつもいっぱいだ。

そんな琵琶湖岸の駐車場や公園についてここ数日関西のニュース番組で取り上げられていた。京都や大阪の県外ナンバーの車が多く駐車されていて、県民が迷惑しているというものだ。
湖岸道路の駐車場は元々県外ナンバーの車が比較的多かった。24~25日は3割が県外ナンバーで、それほど多いわけでもない。バーベキューできる場所は京都や大阪にもたくさんあって、わざわざ来るような場所ではないと思うが、私のように琵琶湖を見慣れている人間と県外の人間では感じ方が異なるのだろう。
それでも大阪はともかく京都は人口比で新型コロナの感染者が多いだけで、県外の人間をバイキン扱いする田舎モンにはなりたくない。
どちらかというと、県外から来るバーベキュー客が迷惑というより、バーベキュー客自体が迷惑だ。

犬を連れて琵琶湖岸の公園を何度か散歩したことがあるが、バーベキュー客は大人数のグループで来ているのが大半だ。この時期、家族だけでバーベキューするならいいが、大人数のグループが家族なわけがなく、バーベキューが間違いなく感染拡大の機会となり得る。
コロナがなかったとしてもバーベキュー客は迷惑で、ゴミを持って変える客はほとんどおらず、公園の一角にゴミが山盛り積まれている。そのゴミを片付ける費用は我々滋賀県民の負担となる。

それに、結構な割合で炭の火を消さずにそこらへんに捨てていくバカも多い。何年か前に海岸のバーベキュー客が燃えている炭を砂に埋め、そこを踏んだ少年が大火傷をしたというニュースがあった。
火が付いたままの炭が捨てられていても子供や犬は危ないと思わない。炭の上を裸足で歩いたり、炭の上に転んだりするのを想像すると恐ろしくなる。

だから、琵琶湖岸の駐車場は全面封鎖、公園でのバーベーキューやキャンプを一切禁止にすりゃいいと思う。最低でもコロナ禍が収束するまで、できればこの先ずっとだ。
県内外の琵琶湖岸でバーベキューしたくて堪らない人はイヤだろうが、私はそうではないので一切困らない。自分にはむしろメリットの方が大きい。ほとんどの滋賀県民がそうだと思う。

他人との飲食をあれほどやめろと言われているのに、バーベキューをやることすら我慢できないようなヤツには一体なにが我慢できるのかと思う。そういう連中の自主性には任せていられないので、その機会を取り上げるしかない。
滋賀県知事は大型連休に入る明日29日から5月11日まで、琵琶湖岸の駐車場64か所をすべて閉鎖し、公園でのバーベキューを禁止にした。とはいっても、路上駐車をして、勝手に公園でバーベキューをする輩は絶対に出てくるだろう。だから駐車場を閉鎖するだけでなく、見回りをする人員が必要になるに違いない。

なんでわざわざこんなことをしないといけないのか理解できないが、バーベキューせずにはいられない我慢の効かない人間が大勢いるのだろう。
落ち着きがない人が多いと、無駄に金ばかりかかる。

20210427-1

先週末、NETFLIXで「ブラックハット」という2015年の映画を見た。マイケル・マン監督、クリス・ヘムズワース主演のハッカー映画ということで期待していたら、とてつもなくしょーもない映画で見たことを後悔した。
「マイティ・ソー」のクリス・ヘムズワースがハッカーという時点でなんとなくイヤな予感はしていた。ヘムズワースは服役中のハッカーで、かつ天才、イケメン、筋骨隆々、男気ありの完璧な人間でもあり、政府の依頼によって香港の原発をハッキングして水素爆発事故を起こしたハッカーを追い詰めるのだが、最終的にハッカー同士が銃を撃ち合い、ナイフを持って殺し合うというアホみたいな内容だった。

結局、筋肉で問題を解決するならハッカーの要素なんかいらないように思うが、どういうわけかハッカー映画にしたかったのだろう。

この手のハッカーが出てくる映画は細かいところの設定がめちゃくちゃなことが多く、「ブラックハット」もご多分に漏れずそれだった。
一番ビックリしたのが、原発事故を起こしたハッカーが残したプログラムをクリス・ヘムズワースが解析するシーンだ。プログラムをダンプ(hexdump)して中身を見るのだが、この手のダンプでは左側に16進数のコード、右側にそれをASCIIに変換したものを表示できる。16進のコードを見ても人間に理解はできないが、ヘムズワースはASCIIで表示された部分を指差して仲間に説明した。

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「ハッカーのコードのこの部分、杜撰だな」
「25行分」
「未完成だな、途中でやめてる」
なんでそんなことが分かるのかと思って映像を止めてよく見てみたら、「杜撰だな」と指摘した部分がプログラムのソースコードに書くコメント部分だった。コメントとはプログラマーがプログラムを分かりやすくするために書いておくメモみたいなもんだ。そこには「// TODO Add check administrator privileges」(TODO:管理者権限の追加)と書いてあった。
「途中でやめてる」の部分には「// Enable remote access」(リモートアクセスを有効化)と書いてあった。
「TODO」は処理の追加を後回しにした箇所に付けるメモなのだが、TODOを残したままプログラムを作ったから杜撰だと言っているのだろう。

このシーンには大きな問題がある。杜撰云々の前に、ソースコードに書いたコメントはコンパイルしてプログラムにするとダンプしても見えなくなる。無駄なコメントはコンパイルで省かれることになるし、なによりもしプログラムをダンプすることでコメント部分が残っていたら、世界中のプログラマーは大混乱に陥ってしまう。うかつにコメントに変なことを書けなくなってしまうからだ。

コンソールなどの標準出力にprintfしていたらプログラムをダンプすると書いた文字列がそのまま見えるが、//で始まる明らかなコメントをprintfしているわけがない。

こういう映画では専門家に助言を求めていると思うのだが、こういうデタラメな描写がなくならない謎がある。よくあるのがパスワードの解析でハッキングソフトを用いて1文字ずつパスワードを解いていくシーンだが、4桁のダイヤル錠じゃあるまいし、ハッシュを用いるパスワードの原理的にそんなことは絶対にありえない。ただ、演出としてそれっぽく見えるので、専門家がおかしいと指摘してもその手の表現がなくならないのかも知れない。

「ブラックハット」のくだんのシーンの場合、テロリストがおざなりな感じで原発事故を起こしたことを示す必要があったので、どう考えてもおかしいが、プログラムをダンプしてコメントを読んでハッカーの行動を知るというシーンがどうしても必要だったのだろう。

私はソフトウェア開発を生業にしており、ネットワーク技術についてそれなりに知識があるので、「ブラックハット」のようなハッカー映画が笑えて仕方がなかった。デタラメなハッキングが繰り返され、最終的に銃とナイフで解決するのだから、笑わない方がおかしい。

こういうことはほかの映画でもよくあるのだと思う。私は宇宙の専門家ではないが、宇宙ものの映画で、宇宙空間なのに宇宙船が大爆発したり、ドカーンと音がするのはおかしいと思う。宇宙の専門家はもっとおかしいと思うことが多いだろう。
「インターステラー」のようなハードSF映画では、大爆発もなく、無音の宇宙空間で宇宙船同士がドッキングしていた。そういう映画は稀有な存在で、大体の映画はリアリティより演出が求められる。

それはまあ、エンタメとしての映画なのだからしょうがないのだろう。
宇宙の映画では超絶テクニックで宇宙船が小惑星帯の小惑星をギリギリでかわしながら飛行するが、実際にあんなにギュウギュウの状態ではない。しかし、誰でも避けられそうだと面白くない。
アクション映画では、ガソリンタンクを銃で撃つと爆発するが、実際にはそのようなことは起こらないという。しかし、そうでなければ主人公が難を逃れることができなくなってしまう。

映画はリアリティより演出が求められるくせに、変なところにリアリティを求めたりするのが気になるところだ。
最近の欧米の映画は主人公周りに美男美女ばかり出演させるのではなく、ほどよくブサイクを散りばめるようにしている。例えばNETFLIXオリジナルの「プロジェクト・パワー」では、主人公のジェイミー・フォックスの娘がめちゃくちゃブスだった。
ほかにも、主要メンバーに同性愛者が必ず含まれるってのがある。いくら欧米といっても、5人いれば誰か同性愛者では割合が多すぎる。

ハリウッドなどでは多様性を持たせた登場人物であることがリアリティがあると思われていそうだが、実際はむしろ逆で、多様性への不自然な気遣いばかりに目が行って気が散ってしまう。
なんでもかんでも黒人になるブラックウォッシュも相変わらずで、スーパーマンもバットマンも新しい作品で黒人になってしまった。DCコミックスは気が狂ってしまったのかと思ったら、マーベルがキャプテン・アメリカを黒人にしてしまった。

リアリティがなくはないのだろうが、同性愛や黒人てんこ盛りの映画はデタラメハッカーの映画と同じくらい気になる。デタラメなハッキングは誰も気にしないが、白人のスーパーマンやバットマン、キャプテン・アメリカを気にする人が多いということだろうか。

世の中、変だと思われるものさしが変わってきているように感じずにはいられない。

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14日(水)放送の「水曜日のダウンタウン」で、「昭和 今考えるとめちゃくちゃ説」というVTRを放送していた。昭和は公衆衛生とか安全、プライバシーに関する理念が低く、今考えてみればめちゃくちゃだったというものだ。職場や電車、飛行機などどこでも喫煙OKで、車にはシートベルトがなかったし、雑誌に芸能人の自宅マップが掲載されていたとかいう話だった。
芸能人の自宅の話でいうと、昔はプロ野球選手やら漫画家も雑誌に住所が掲載されていて、ファンが押しかけてサインをもらったりしていたらしい。

確かにいろいろめちゃくちゃだったが、そういう昭和の当たり前は古いマンガを読めばちょくちょく出てくる。例えば植田まさしの漫画でいうと、職場での喫煙を女子社員が嫌うとか、電車でチンピラが座席を広く取りながらタバコを吸って乗客に絡むというシチュエーションがよくあった。今では考えられないような話だ。

私が子供の頃、駅の改札で駅員が改札パンチを使って切符を切っていた時代であるが、JRの電車のボックス席の窓側に灰皿が取り付けてあったのを覚えている。しばらくして改札パンチではなくスタンプに変わった頃になると電車内が禁煙になり、灰皿が取り除かれ、取り付けの穴だけ残っていたのも覚えている。
漫画に出てくるタバコを吸うチンピラのシチュエーションはこの頃のものだろう。

社会人になった頃には新幹線に喫煙車両があったがそれもなくなり、特定の車両に喫煙所が導入された。
JR西日本では2009年に駅のホームでも禁煙となった。この頃、しばらくはホームの端の方でこっそりタバコを吸うオッサンがいたが、今では駅構内で喫煙するヤツを見かけることがなくなった。

喫煙のルールは時代の流れとともによくなっていると思う。喫煙者からしたら肩身が狭い思いをさせられていろいろ不便だろうが、タバコを吸わない人間からしたら当然の規制に思える。私は学生の頃喫煙していたので喫煙者の気持ちも少しは分かるが、それはまあしょうがないことだ。
今では路上喫煙禁止区域が設けられ、違反すると2000円くらいの科料を取られるようになってますます肩身が狭いだろうが、それも仕方がない。できれば路上は全部禁煙にしてもらいたいくらいだ。

喫煙者が吐いた煙である副流煙は健康に悪いらしいが、そんなことより、一度喫煙者の肺に取り込まれた煙の粒子が吐き出され、それを吸い込んでいるのかと想像すれば、タバコの煙がいかに気持ち悪いか理解できるのではないか。他人の内臓に取り込まれたものを自分が吸い込んで同じ内臓に入れてしまうわけで、他人が吐いたゲロを飲むのと大して変わらない。

今も路上喫煙する喫煙者は多いが、法律で全面禁止にすれば減るに決まっている。タバコは私的な場所か喫煙所でしか吸えないようにできると思う。ルールが変わって電車内や駅構内が全面禁止になってしばらくはタバコを吸うヤツが散見されたが、ルールが周知されて常識化してしまうと誰もやらなくなることが分かっている。バカ丸出しで非常識なことをするのが避けられるようになる。

これと同様に、路上や公共交通機関での飲酒を禁じる法律か条例を制定するべきだと思う。最近路上飲みが問題視されているが、路上で好き勝手飲酒することが許されているのが理解できない。

この件について昨日の「Mr.サンデー」で吉村知事が宮根誠司から「路上飲酒禁止などを条例で制定できないか」と問われ、「法律で許されていることを条例で取り締まってはいけないというルールがある」と説明し、取り締まりができないことへの理解を求めていた。
確かに、喫煙を禁止する条例、例えば大阪府の受動喫煙防止条例は健康増進法に基づいていて、ほかの地方自治体の条例も同様だ。だから、特定の場所での飲酒を禁止する法律がないのに条例で禁止はできないのだという。

ならば仕方がないわけだが、今後のことを考えれば健康増進法の改正で路上や公共交通機関での飲酒を禁止するよう国会が動くべきだと思う。路上や電車で酒を飲んでいるヤツなどほとんどがロクデナシかアル中であって、制定されたところで困るのはごく一部だろう。出張帰りの新幹線での一杯を楽しみにしているサラリーマンくらいか。
タバコと同様に酒も好き勝手どこでも飲めていいとは思えない。

日本で個人の自由が尊重されているのはいいが、これまではいちいち法律で取り締まらなくてもモラルで個々が常識的な行動を取ることが期待されていた。ところが、そのような性善説のように人々のモラルとか常識とかにたよっての行動の制限は日本人にも無理だということが分かってきた。モラルや同調圧力より個人の自由が勝るようになってきており、その証拠に路上飲みが増え、緊急事態宣言が出てなるべく出かけないようお願いされてもじっとしていられない人が増えた。まるで間寛平演じるジジイが吉本新喜劇で「わしゃ止まると死ぬんじゃ」と言って杖を振り回してフラついているかのようだ。

路上や電車での飲酒のみならず、ロックダウンできるよう私権制限ができる法整備もすりゃいいと思う。1年前ならば「そんなものがなくても日本人ならどうにかなる」と思ったが、この1年でどうにもならないことが分かってしまった。極めて残念な話であるが、日本の欧米と同じようにガマンできない人たちだらけだ。最初は戸惑うが、何度か経験すると歯止めが効かなくなる。欧米人がただの愚か者なら、日本人は臆病は愚か者といっても過言ではないかも知れない。

法律に基づく私権制限は「政府が恣意的な運用をする危険性がある」と言われていたが、新型コロナウイルスが蔓延して医療崩壊が現実に起きているような状態でも大して気にしていない人が好き勝手行動する方が危険に思えて仕方がない。

もっと厳しい私権制限ができるよう法制化することは議論の余地があるとしても、いつでもどこでも好き勝手飲酒できることは法律で禁止してよさそうに思う。そんなことをしても公園などで飲むだけかも知れないが、道路や電車内で飲酒するよりマシだろう。

緊急事態宣言に基づく休業要請やらステイホームのお願いなど、お願いベースの感染対策がわずかに強化されただけで、医療体制と同様に1年前とほとんど変わっていない。蔓延防止等重点措置とやらができて、休業要請を守らない飲食店に罰則規定ができたくらいか。これはもう国会の怠慢というほかない。
今からでもいいので、国民のケツをぶっ叩くような法律を制定できないものだろうか。コロナ禍はあと1年は続きそうで、そこまで持ちこたえたら法制定の必要がないと先延ばしにしているのであろうが、こんな状態で新型コロナよりもっと危険な感染症が蔓延したときにこの国がどうなるのか不安で仕方がない。

マスコミは相変わらず厳しい私権制限に難色を示すが、罰を与えないと自分の行動を抑制できないようなバカが大勢いるのだから仕方がない。

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