6月くらいから猫を飼い始めた。以前飼っていたのと同じ黒猫だ。

前に飼っていた猫は、近所をうろついていた母猫が私の家に頻繁に来るようになって、突然子猫を連れてきて紹介し、しばらくしたあとそのまま置いて出て行ったのを飼った。
元々野良猫だったから、家から普通に出してやって、適当に帰ってくるという生活をしていたが、ある晩帰ってこないと思ったら、交通事故で死んでいた。

だから、今度飼う猫は完全家猫にしようと思っている。外にまったく出さない猫のことである。
だいぶ前から、猫を家の中だけで飼い、外に出さないという人が増えている。そうすれば近所迷惑にもならないし、ケンカして怪我をしてくることもないし、病気も貰ってこないし、交通事故に遭うこともない。

こういうと、何も分かっていない人が「猫を家に閉じ込めるなんて可哀相」などと言う。
しかし、猫が外をフラフラ歩くのは、生まれたときからそうしているからであって、ずっと家の中で飼えば、家の中しか知らずに育ち、外に興味はあっても外に出たいと思わなくなる。
家の中で自由に動き回れば十分に運動になるし、家の中が自分のすべての世界だと思えば、不幸だとも思わない。

人間は、何でも自分に置き換えて考えるのが好きで、完全家猫は自分が家に軟禁されていると考えがちだが、家の中だけで育った猫は、外に出られなくともまったくストレスを感じないのだ。

外界の知らなくてもいいことを知らずに育つという、まさに温室育ちといえる猫だが、それが幸せかどうかは知らないが、少なくとも不幸ではない。

藤子・F・不二雄の漫画「エスパー魔美」で、魔美がひとりの浮浪者と出会う話があった。
その浮浪者は、大企業の社長であるが、勝手気ままな生活を満喫したくて、仕事を捨ててホームレスの生活をしていた。
だが、魔美は浮浪者のオジサンの生活を不憫に思い、食べ物などを頻繁に差し入れる。
そんな魔美に、社長だった浮浪者が問う。「エサは貰えるが、家で鎖に繋がれて飼われている犬がいる。もう一方で、ひもじい思いをしているが、どこにでも自由に行けて、気ままに生きている野良犬がいる。どちらの犬が幸せか?」
魔美は「そりゃもちろん飼い犬」と答えるが、浮浪者は「犬に訊いてみないと分からない」などとはぐらかしてどこかに行ってしまう。

社長だった浮浪者が言いたかったことは、何が幸せなのかは他人が決めることではないということだ。
幸とか不幸とかは人間が相対的に決めがちで、自分が幸せかどうか、他人が不幸かどうかは誰かと比べて評価される。
「あの人は自分より貧乏だから、金をもっと稼げるように投資の仕方を教えよう」などと考えるヤツがいるが、余計なお世話である。

自分にはよくない暮らしをしていても、他人はそれでいいと思っているかも知れない。
完全家猫のように、ほかの世界のことを知らなければ、自分が不幸だとも思わず、普通に暮らしていけることだってある。

自分の価値観を他人に押しつけて失敗しているのが、脱北者支援であると思う。
北朝鮮に住んでいる貧乏人に対し、「北朝鮮を抜けて韓国で暮らせば、ひもじい思いもせずに、楽に暮らすことができる」と吹聴し、命がけで脱北させる。

ところが、死ぬ思いをして脱北して韓国にたどり着いても、待っているのは天国ではなく、北朝鮮とはまた違った地獄だ。
韓国人の差別意識は強烈なので、言葉や身長などから脱北者だと気付かれ、酷い差別を受けることになる。
韓国人ですら仕事が少なくなってきているのだから、脱北者には仕事なんかない。韓国人でもやりたがらない仕事についても、ほかの韓国人の給料の半分くらいで働かされることがざら。
北朝鮮でも厳しかったが、結局モノが溢れかえる豊かな韓国でも厳しい生活を余儀なくされ、北朝鮮に戻ったら酷い目に遭わされることが分かっているのに、韓国を脱出して再び北朝鮮に戻る脱北者がかなり増えてきている。

こんな話に例えられる。

完全家猫として、飼い主の家でぬくぬくと育っていた猫に対し、キツネが言いました。
「外には楽しいことがたくさんあるから、もっと楽しい生活ができるよ」
猫は今の家の中の暮らししか知りませんでした。外がどんなものかを知りたくて、家の外に飛び出しました。
確かにキツネが言うように、外には家の中にない楽しいもの、刺激的なものがたくさんありました。
ところが、外には猫を蹴飛ばそうとする猫嫌いの人間がいました。空から自分を狙ってくるカラスがいました。車がたくさん通るためにおちおち道路でひなたぼっこもできません。
猫は家に戻ることにしました。

他人の何が幸せであるかなんて、他人が決めることではないのだ。