日本財団やキリスト教系団体で長年ボランティアに携わってきた曾野綾子氏の最貧国でのボランティア体験の著書を読むと本当にためになる。
人間の本質というものを窺い知ることができるからだ。

アフリカなどの貧しい国には子供が多い。親がアホでセックスばかりしているからではなく、子供を働かせるために作るパターンが多いとか。
できすぎたら口減らしのために捨てられる場合もあるだろうが、多くは小さい頃から働くことになる。水を汲みに行ったり畑で農作業をしたり。
学校も行かずにそんなことをやっているから、当然就職などできない。ロクな稼ぎが得られずに、大人になったら自分も同じことをやる。
負の連鎖だ。

だから、子供に勉強させるため、先進国のボランティアが学校を作り、教科書や筆記用具を配ったりするが、それだけでは子供たちは学校に通わない。
まず親が通わせない。子供は勉強をさせるためにいるのではなく、仕事をさせるためにいる。子供に勉強なんかさせたって家計の足しにならない。

だから、何よりも先に学校給食を充実させる必要があると曾野氏が説いていた。とりあえず学校で子供に飯を食わせたら、親は子供の食事が浮くので学校に通わせるという考えだ。
実際、そうしないと子供が来ないので、アフリカでの学校建設プロジェクトでは、とにかく給食を何とかすることが重要らしい。

曾野氏は、長年ボランティアをしてきたが、施しを受ける方をまったく信用していない。貧しい国の政治家や官僚もそうだが、貧しい家の親たちも信用していない。
例えば、アフリカの貧しい家庭に粉ミルクを配ったとする。日本人の感覚からすれば、親が子供に飲ませるものだと思うが、子供に一切与えず、配給された粉ミルクを売る親が殆どなのだ。
しかも、その親たちも家計のために懸命に仕事をしているわけでもなく、仕事もせずに自堕落に暮らすことも多い。

曾野氏は、実際の現場を見て、施しを受ける方にも手厳しい。「暑すぎる国でマトモに仕事はできない」と理解は示すが、よくありがちな「貧しくても心が清らかで豊か」だとかいうバイアスを通した紹介を決してしないのだ。
著書を読んだ当初、それが実に新鮮だった。

日本にいると、何故か「貧しい国の人ほど、心が豊かで清らかである」と訴える人がいる。どういう目的で言っているのか知らないが、そんなわけがない。
どう考えても、裕福で、毎日の生活に余裕のある人の方が、人としていい心構えをしているに決まっている。
たまに、貧乏でもつましい生活を送り、キリストやブッダのように心が清く朗らかな人がいるかも知れない。だが、大抵の貧乏人は浅ましく、ひねた根性をしている。

これは、美人とブスの女の話にも通ずるものがある。
よく「ブスだけど性格美人」と言われる女性がいる。「貧乏だけど心が清らか」よりはかなり多いと思う。逆に、「美人なのに性格ブス」と言われる人もいて、美人だと高慢で性格が悪く、男を手玉に取るような悪いヤツが多いように思われている。
だが実際は、美人で気立てのいい女性も多いし、何より、ブスのうえに性格までねじ曲がったどうしようもないヤツが結構いる。
美人から来る余裕と、ブスから来る僻みが、周囲への対応に現れるのだろう。

金持ちと貧乏の関係だってそれと同じだ。金持ちなのに心が貧しく、貧乏なのに心が清らかな人もいるだろうが、これまでの経験則でいうと、貧乏かつ性格もどうかしてしまったとしか思えない人の方が遙かに多い。
貧しさが日々の余裕をなくさせ、羞恥心も失わせる。

だから、テレビで「貧しい国でも、子供たちの目はこれほど輝いています」などと紹介されても、何も信じられない。
子供は無邪気だから、楽しそうにするだろうし、何より、楽しそうにしている写真や映像をかいつまんで紹介するのだから、そのように見えて当たり前の話である。
ちょうど、20年、30年前の中国に対する紹介がそんな感じのものが多かった。

そんな話に騙されてはいけない。日本と同じ尺度でものを考え、同じ目線で違う国を見ると、間違った解釈をしてしまうことになる。
インドや中国には、物乞いをするために手首を切り落としたり、両目を潰したりする子供がいる。実の親や、子供を拾い集めてきた大人がやらせるのだ。
アフリカやブラジルでは、子供が強盗殺人をしたり、互いに殺し合ったりすることもある。

世の中は、いい人や可愛い子供ばかりではないのだ。
特に貧しい国では、悪い人とダメな人ばかりと思うくらいでちょうどいい。少なくとも、私にはそのような国には夢も希望のないように見える。