日韓関係が悪くなるなか、韓国人には公平な振る舞いをしたり、中立の立場を取るということができないということが、日本人としてよく分かった。

その典型が韓国司法で、韓国の司法は国民感情に流される。だから、中立の立場で、国内法、国際法に基づいた判断をせねばならない裁判官が、日本から盗まれた仏像を「返さなくてもいい」と判断する。その上、盗まれた日本に対し、「盗んでいない証拠を出せ」とめちゃくちゃなことを言う。
それもこれも、国民がそれを望み、裁判官も韓国人の代表として、国民の意を汲むからである。

普通ではあり得ない話だ。裁判官は厳格でなければならないのに、韓国ではそうではない。
少しでも常識がある人間ならば、アホな国民が少々騒いでも、司法の番人として正しい判断をするという決意を持ってよさそうだが、韓国人はそうではない。
「人として」という考えより、「韓国人として」という考え方が何よりも優先される。

それと同じことを、なぜか国連の事務総長になった韓国人の潘基文がやっていた。
韓国国内で記者会見されたおり、韓国の記者に日本と中韓の対立について問われ、「日本が中韓におもねった正しい歴史認識を持てば、良好な関係が維持できる」、「日本の政治家は自らを深く省みて、国際的な未来を見通すビジョンが必要であるから、憲法改正は以ての外」という趣旨の発言をした。

これは、驚くべき発言である。
国連のトップ、事務総長を務める人間ならば、国同士のどんな揉め事であっても中立の立場を取らねばならない。それぞれの国に、それぞれの主張があるからだ。
だが、潘基文はそうではなかった。韓国人として、韓国人の考えに則って、日本のみを一方的に非難し、日本に対して「中韓と同じ歴史認識を持て」、「憲法改正はするな」と注文を出したのである。
とてつもない越権行為であり、内政干渉であり、国連の人間として全くふさわしくない発言である。

国連なんぞ、元々誰も信用していない機関ではあるが、一応国連の立場上、またそのトップにいる立場上、中立のフリはせねばならない。
しかし潘基文は、恥ずかしげもなく、韓国人として日本を批判した。
こんなクソみたいなヤツがトップに就いているのが国連だ。減らない紛争や人権問題から、潘基文は無能だと揶揄されているが、無能どころの騒ぎではない。国連事務総長を務める資格すらない。

国連の人間を見ても、裁判官を見ても、韓国人の程度が知れるというものだが、ヤツらは自分たちの愚かな行為を少しも恥ずかしいと思っていない。
道理が通っていようがいまいが、そんなことは関係ない。韓国のために愛国的言動を見せることは恥ずかしいことでもはなく、寧ろ誇らしいことなのだ。
その上、韓国人は自分たちの無謬性を疑わない。自分たちは間違いのない完全無欠の人間であるから、自分たちと意見の合わない日本人は全て間違っていると考える。

韓国人は、日韓首脳会談条件として、この期に及んでも「日本が正しい歴史認識を持てば」と注文を付けている。
これはすなわち、「日本人が韓国人と同じ歴史認識を持てば、話し合いに応じてやってもいい」というものだ。
相手には相手の言い分があるなんてことは韓国人は考えない。なぜなら、自分たちは無謬の存在であり、常に間違っているのは相手だからだ。

そんな国の連中と話し合う必要はない。
とりあえず日本は、首脳会談の呼びかけだけ行っておけばいいだろう。日本側は、余裕の姿勢で常に話し合いの門戸は開いているのだ。
こちらから折れる必要は微塵もなく、めちゃくちゃなことを言う韓国に、その言い分を変えさせる必要がある。

韓国ならば、一度言い出したことはなかなか変えにくいだろう。だが、外交は夫婦喧嘩ではないのである。相手に非があっても、きっかけのためにこちらから折れる必要などない。
「嫌なら結構」と突き放しておくしかないのだ。

相手は、国連の人間だろうが、裁判所の人間だろうが、大統領だろうが、中立の立場を取ることもできなければ、相手の意見に少しも耳を傾けられない人間なのである。
そんな異常者たちと、マトモに取り合おうとするのが間違っている。
元から、頭のオカシイ連中と話をせねばならないという考えで接さないといけないのだ。