手塚治虫の漫画で最も好きなものを挙げろと言われれば、「火の鳥」か「ブッダ」で迷う。
「火の鳥」はそれぞれの編で好き嫌いが分かれるが、「ブッダ」は全体を通して面白いから、総合的に「ブッダ」の方が好きかも知れない。

「ブッダ」は、いわゆるお釈迦さまの生涯を描いた漫画で、1972年から1983年まで、創価学会傘下の潮出版が出している少年漫画雑誌で連載された。
連載誌は創価学会の雑誌であるが、創価学会臭さは微塵もない。創価学会系の漫画雑誌に連載された作品だと聞くと、毛嫌いする人もいようが、10年以上の長きにわたって連載できたのは、創価学会系の漫画雑誌だからである。
そんなことをいちいち気にする必要はない。

「ブッダ」が素晴らしいところは、ただ単に伝記漫画として描かれたものではなく、手塚一流の創作がふんだんに織り込まれ、ダイナミックすぎる脚色が面白いのだ。
ブッダの生涯を、仏典を元にただそのまま漫画にしてもつまらない。手塚の創作があってこその「ブッダ」なのだ。

30~40年前の漫画だが、最近アメリカでも漫画賞を受賞するなど高く評価されており、ここへ来て、3部作のアニメ映画かもされることになった。
手塚ファンとしては喜ばしい限りである。

漫画が映画化されると、ついでに原作も大々的に売られ、読む人がぐっと増える。
ただ、ブッダや仏典のことを何も知らずに「ブッダ」を読むと、何が本当で、何が手塚の創作なのか、どこまでが仏典にあることなのかが分からなくなってしまうのは間違いない。
創作がかなり入っていると知っていればいいが、知らなかったら全部仏典にある本当の話だと勘違いする人もいるだろう。

「ブッダ」の始めのうちに出てくる不可蝕民のチャプラや、その友人のタッタ、のちにタッタと結婚するミゲーラなどは、全て架空の人物だ。

「ブッダ」の中で、のちのブッダになるゴータマ・シッダルタに悟りを開くきっかけを与えたアッサジ(見た目が「三つ目がとおるの写楽と同じ)は、実際は、悟りを開いたブッダが最初に弟子になった5人(五比丘)のひとりだ。
仏典では、ブッダの十大弟子であり、最も重要な弟子のサーリプッタとモッガラーナをブッダに弟子入りさせるのだが、漫画ではブッダが悟りを開く前に死んでいたので、霊となって登場した。

また、ブッダの十大弟子のひとりで、ブッダが死ぬまでの25年間、ブッダに付き添い、身の回りの世話をしたアナンダは、「ブッダ」の中ではかなり違った描かれ方をしている。
実際の仏典では、ブッダの従兄弟であり、同じくブッダの従兄弟で、後にブッダを裏切るダイバダッタの弟なのであるが、「ブッダ」の中では、殺人鬼の過去を持っていたとして描かれている。それが理由で、ほかの弟子たちから迫害を受けるのだが、ブッダには信頼されていて、最後の旅にも連れて行かれたという役回りになっている。

私も、「ブッダ」を読んだ最初は、人物関係や、誰が架空の人物なのか、実際の仏典ではどうなのか、何が何だかさっぱり分からなかったが、ボチボチ仏教の勉強をして、ようやく大まかなことが分かった。

漫画の「ブッダ」と、実際のブッダの生涯がどう違うのか比べられるような、ブッダの生涯をそこそこ詳しく、なおかつ簡潔に書いた本がなかったので紆余曲折があった。
いろいろ買ってみたが、もっともよかったのは、西東社の「図解 ブッダの教え」という本が最もよかった。735円と安価ながら、ブッダの生涯から、ブッダの教え、仏教の伝播などがきっちり書かれていて、漫画の「ブッダ」と実際の違いを手っ取り早く比べるにはちょうどよかった。

そうこうして、仏典でのブッダを知った上で、手塚治虫「ブッダ」を読むと、また違った受け止め方ができるし、手塚治虫がいかに偉大であったかを知ることができる。
相当なセンスと、構成力がなければ、あれほどの大作は不可能だろう。"漫画の神様"であることは間違いない。

というわけで、私のお勧めは、漫画の「ブッダ」を読み、ある程度仏典の勉強をした上で、もう一度「ブッダ」を読み返すというものだ。
映画は、漫画「ブッダ」の魅力を十分分かってからでいいんじゃなかろうか。