私は仕事でほぼWindowsしか使っていないのだが、製品によっては開発環境がLinuxのものがあって、それらの開発をするときはLinuxディストリビューションのひとつであるFedoraを使っている。
デスクトップ環境はデフォルトのGNOMEで、特にごちゃごちゃいじったわけではないのだが、下のタスクバーに天気と気温が表示される。設定している大阪市の場合、関空の天気と気温らしいが、このところ暑さ全開であるため、Linuxを立ち上げて気温を見る度ウンザリする。

今日もLinux上で見てみたら、摂氏34度、体感気温は38.9度と書いてあった。実際計測された気温だけでいいのに、体感気温まで書くから余計にウンザリしてしまう。

 


我が家は滋賀にあるのだが、先週から冷房をつける毎日だ。設定温度は例年より1度高くしているが、それでも節電もクソもない使い方である。
滋賀や京都は盆地なので、夏は暑く、冬は寒いという最悪な土地なのだ。

夜寝るときも入れっぱなし。うちはオール電化契約なので、夜11時から朝7時までの電気代が3分の1になる。だから、暑い夜は冷房つけなきゃ損々ってわけだ。

節電のためにテレビの深夜放送や、コンビニの深夜営業をやめろとムチャクチャ言うバカがいるが、電気が有り余っているときに使って何が悪い。
夜中の電力は揚水発電に回せるとか何とか言われるが、揚水発電は夜間に余った電気で水を汲み上げておくモンで、原発がかろうじて動いている今では、全部揚水発電に回してもまだ電力は余ってるのだから、気にすることはない。

ただ、これがこの先どうなるのかと、今から本当に心配になってしまう。
赤ん坊や要介護の年寄りがいる家庭は、暑い時期に冷房なしでやり過ごすわけにはいかないだろうし、昼間の仕事の効率のことなんかを考えると、夜は冷房を付けて寝たい。
昼の仕事だって、暑いところでやったら、効率が下がるだけ。冷房をガンガンに効かせて働きたいところだ。

皆、そう思っている。
しかし、福島があんなことになった以上、それをおいそれと口にできない雰囲気になっている。

個人では皆、過度な節電や冷房を弱めたりつけないことにブーブー言うわけだが、少しでも人が集まったとたん、誰も文句が言えなくなる。

日本は、サヨクが中心になって"個"のみを考え、"個"のために"公"を捨てる世の中になったというのに、反原発の動きでサヨク連中は"公"のためと称し、あらゆる活動を制限しようとしている。
暑いのはガマンしろ、職を失ってもガマンしろというわけだ。これぞまさに全体主義である。"個"なんてもんは、全体主義を前にすれば、いとも簡単に吹き飛んでしまうのだ。

福島第一原発の放射線被曝でまだ誰も死んでいないが、全体主義の中で押し進められる節電ファッショでは、人が死んでもおかしくない。
放射能で誰も死ななかったのに、熱中症で大勢死んでは笑い事では済まない。

反原発の連中は、死んでも原発を再稼働させたくないから、電力不足に陥らせぬよう節電を強制しているわけだが、そんなもんに協力するのがアホらしくなってきた。
これからもっと暑くなる。私はもうガマンできない。