かつての私のように、鬱病を患って不安症に陥り、パニック障碍のようになった人間は、予期不安というのを覚えるのだそうだ。
パニック障碍というのは、「息ができない」などと思ってやたらと息をしたがる過換気症候群になり、最終的にパニックになることが多い。
一度過換気症候群になり、苦しい思いをしてしまうと、次にまたなってしまうのではないかという不安にかられるのだ。特に電車などの逃げ場のない閉塞した空間に自分が置かれたとき、過換気症候群になってパニックになったらどうしようと思う。
すると、電車に乗ると想像するだけで心臓がバクバクし、本来なら何でもなく乗れるはずの電車に不安感から乗れなくなってしまう。
それが予期不安である。それが続くと、晴れて鬱病患者の仲間入りだ。
私は何とか通勤電車に乗れたし、今では過換気症候群も治ったように思えるが、それでも元々がネガティブ思考の人間で、常に不安感を覚えるタチだから、そういうマイナスな性格は死ぬまで直らない。
だから、死ぬまでずっと、いろんなことで不安感を覚えるに違いない。
自分の将来どころか、日本の将来だって心配だし、どう考えてもお先真っ暗。会社もいつトバされるか分からないし、働く意味もよく分からなくなってきた。右を見ても左を見ても、不安なことばかり。
この世に不安感を感じない人なんていないかも知れない。だが、程度の違いはあるわけで、一流企業のサラリーマンや公務員なんかは、私のような二流以下の、ヒエラルキーの下層に位置する人間よりかは不安感を感じることは少ないのではなかろうか。
不安に思うことは人それぞれあるのだろうけども、ここ最近、不安に思うことにまたひとつの事柄が加わった。
来夏の電力不足である。
反原発の人や、電力会社に批判的な人は、電力会社が脅かしているだけだと言うのだろうけども、来年の夏の関西は、このままいけば猛烈な電力不足に陥る。
休眠していた火力発電所が思うように動かず、動かしていたところも、24時間フル稼働のせいでぶっ壊れたりした。
関電の予想では、このままいけば最悪の場合、来夏に600万キロワットの電力不足が生じるのだ。
今夏は毎日3000万キロワットくらいは供給能力があって、最大でも90%を超えたくらいだった。
それが来夏は2500万キロワット程度になる可能性があって、20%の電力不足になることが考えられる。そこまで足らないと、計画停電だけで済むかどうか。
少し暑いくらいならガマンできるが、計画停電をやった場合、オール電化の我が家のダメージは大きい。通勤だってマトモにできなくなるだろう。電車の本数が減って、毎日クソみたいに混み合った中、1時間も電車に乗るのはウンザリである。
仕事だってどうなるのだろうか。会社の業績は維持できるのか。私は来年も会社に雇って貰えているのか。
心配事は尽きない。
原発がなくてもいいってヤツらは、電力不足なんか何とかなると思っている楽観主義者なんだろうか。
私は反原発ではないのだが、どう頑張ってもそういう連中のように楽観的に考えることができない。
廃炉にしない限り原発が完璧に安全になることなんかないわけだし、逆に言うと、動いていても止まっていても同じリスクなら動かせやと常々言ってきたが、来年夏まで理屈の通らない連中に、こんなことを言い続けねばならないのだろうか。
とにかく今は動かしておいて、じっくり考えるということが何故できないのだろうか。
日本人は論理的にものを考えられない原始人ばかりだと前に書いたが、マルチタスクでないシングルタスクでもあるらしい。マルチタスクがパソコンならば、多くの日本人は未だ電卓、そろばんなのである。
コメント