先月、働けるのに働かず、生活保護だけ貰ってそこそこいい暮らしをしているヤツの文句を書いたら、変なことをコメント欄に書いてきた人がいた。
「ほとんどの自殺者、餓死者、行方不明者のほとんどは、自己破産手続きはおろか、生活保護申請すらしていない、という事実をご存知ですか?」

私の理解力が足りないのか、私にはよく意味が分からなかった。

想像力を働かせて考えると、貰わなくてもいいはずなのに何だかんだ理由を付けて貰っている人がいる反面、貰わずにガマンしている人もいるということを言いたいのだろうが、どう考えても生活保護受給に不適格と思われるヤツの話とは関係がない。働きたくないから生活保護を受けているヤツと、働きたくても働けないとか、働いても貧乏だとかいう人が生活保護を申請するかどうかは、別の話だろう。
そもそも、自殺したり行方不明になった人が生活保護を申請していたとして、無事だったかどうかは分からない。

「自殺と生活保護の関連性が不明じゃないか」と尋ねたら、完全に無視されて、ほかでもやっているように論点のすり替えをされ、「お前も仕事がしたくないだけだろう」とか、イヤミのようなものを言われただけであった。

人を不愉快にさせるのが目的でよく分からない言いがかりを付けてくるらしいので、そんなもんかと思ったわけだが、「不正と見られても仕方がない生活保護受給くらいで、数もそれほど多くないのにごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ」と言っているらしいことが、どうも納得がいかなかった。
貰えない人のことについても言及しろという意味だったかも知れないが、そんなことを言い始めたら、ただでさえエントリが長すぎる私の話がもっと長くなるし、第一、そうしていたらキリがない。

その人物は、痴漢冤罪事件について皆が「大変だ」と言っていることについても、いちゃもんを付けていた。「痴漢冤罪の前に、本当の痴漢犯罪がどれほど多くあるのか分かっているのか」とかいうことを主張していた。

これも言わんとしていることは少しは分かるが、大多数の女性が痴漢被害に遭っている中で、痴漢をしてもいないのに痴漢の濡れ衣を着せられている男性のことについて同情したり、被害を主張する女を非難することが悪いことなのだろうか。

例えば、世間の痴漢での検挙のうち、99.9%が本当の痴漢で、0.1%が冤罪だったとする。99.9%が本当の痴漢なのだから、0.1%の冤罪なんか微々たるモンで、99.9%の方に重きを置いて考えろというのはオカシイ。
その考えが通るのであれば、足利事件など、警察や検察の失態による冤罪事件も大したことないことになってしまう。

今日の産経新聞朝刊は、生活保護受給者をダシにして、引っ越しをしたことにして大阪市から敷金や引っ越し代の名目で金を搾取していたNPO法人の人間が逮捕されたという記事があった。
この話も、大阪市の大多数の生活保護受給者は不正なくやっているから、大したことないという考えは間違っている。

「木を見て森を見ず」という言葉のとおりに、不正受給だけを見て「生活保護をなくせ」と主張するのは間違いだが、だからといって見過ごすのはもっと大きな間違いだ。森の中の腐った木を見過ごしていたら、そのうち森の中が腐った木だらけになってしまうかも知れない。

「だから何だ」という話だが、産経新聞朝刊の記事を読んで、そう思った。