共産党のビラを配るために、勝手にマンション内に侵入して住居侵入罪に問われた坊主の裁判が最高裁で開かれ、最高裁は、無罪とした地裁判決を破棄し、罰金5万円の有罪とした高裁判決を支持した。荒川庸生とかいう坊主は、前科ありの坊主となった。

坊主や支持者たちは、「表現の自由を犯す不当判決」と息巻いており、朝日新聞も「刑事罰を科すことには疑問が残る」などと坊主を支援するが、この坊主はマンションの集合ポストにビラを入れりゃいいものの、自分で直接各戸に配るという信念の元、勝手にマンションに侵入して、各戸のドアポストに共産党のビラを入れたのである。

朝日新聞は、「事件前に苦情を受けていたわけではないのに、逮捕までするのはオカシイ」などと書いているが、現実には各戸のドアポストに入れているところを住民に通報されているのだから、おかしくも何ともない。23日間も警察に身柄を拘束されたのは警察のやり過ぎかも知れないが、自信を無謬の存在と勘違いして、人の迷惑を顧みない坊主にお灸を据えたようなもんだろう。

どうも、この手の左派イデオロギーに満ちた政党や団体の関係者は、どんなビラだろうが、どこに対してだろうが、配っていいと勘違いしているらしい。世の中はそんなもんに興味がない人がほとんどであるのに、その人たちにどう思われようが、自分たちが正しいことをしていると思っているから、平気でできてしまうのだろう。

昨年の4月には、最高裁が東京都立川市の自衛隊官舎で自衛隊イラク派遣に反対するビラを配った連中について、有罪にする判決を支持した。この事件では、反戦団体の人間が、自衛隊の官舎に住む自衛官の家族に向けて、イラク派兵へ反対するという意見だけでなく、自衛官は人殺しだという趣旨の意見までビラに書いた。つまりは、「お前たちの旦那や父親は、人殺しだ」とわざわざ家族に向けて言っていたのである。それを見た家族はどう思うだろうか。

しかし、それでもこの反戦団体を支持し、最高裁の判断を批判する連中が大勢いる。そいつら曰く、自衛官やその家族に対する嫌がらせも「表現の自由」なんだそうな。
「表現の自由」という言葉は便利だ。どんなことだって許される免罪符となるのだから。

この理論が通用するなら、橋下府知事が光市の母子殺害事件の弁護士らに訴えられても、「表現の自由」の一言で済むのだろう。

今回の坊主が有罪になった裁判で、他人の迷惑なんぞ全く考えない坊主の横柄な態度も気になるのだが、それ以上に気になるのが、坊主が共産党の支持者であることも気になって仕方がない。

日本共産党は、マルクスと違って宗教を否定せず、宗教の意義を認め、信教の自由を擁護するという方針があるらしいが、やはり基本的には社会主義的なイデオロギーと宗教は結びつかないような気がしてならない。
それでもくだんの坊主は、高校生の頃から40年以上にわたってそこら中の家にビラを配っているのだから、よほど共産党に心酔しているのだろう。

マルクスは「宗教はアヘンであるとか何とか言っていたらしいが、「共産党はアヘンである」とも言えるではないか。